・・・芸術の花うかびたる小川の流れの起伏を知らない。陋屋の半坪の台所で、ちくわの夕食に馴れたる盲目の鼠だ。君には、ひとりの良人を愛することさえできなかった。かつて君には、一葉の恋文さえ書けなかった。恥じるがいい。女体の不言実行の愛とは、何を意味す・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・湯流山は氷のかけらが溶けかけているような形で、峯には三つのなだらかな起伏があり西端は流れたようにゆるやかな傾斜をなしていた。百米くらいの高さであった。太郎がどうしてそんな山の中にまで行き着けたのか、その訳は不明であった。いや、太郎がひとりで・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・ ヴァイオリンの音の、起伏するのを受けて、山彦の答えるように、かすかな、セロのような音が響いて来る。それが消えて行くのを、追い縋りでもするように、またヴァイオリンの高音が響いて来る。 このかすかな伴奏の音が、別れた後の、未来に残る二・・・ 寺田寅彦 「秋の歌」
・・・そういう場合には反響によって昼間はもちろんまっ暗な時でも地面の起伏を知りまた手近な山腹斜面の方向を知る必要がありそうに思われる。鳥は夜盲であり羅針盤をもっていないとすると、暗い谷間を飛行するのは非常に危険である。それにかかわらずいつも充分な・・・ 寺田寅彦 「疑問と空想」
・・・とある谷を下った所で、曲がりくねった道路と、その道ばたに榛の木が三四本まっ黄に染まったのを主題にして、やや複雑な地形に起伏するいろいろの畑地を画布の中へ取り入れた。 帰りに汽車の窓から見た景色は行きとは見違えるほどいっそう美しかった。す・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・九月二日 曇 朝大学へ行って破損の状況を見廻ってから、本郷通りを湯島五丁目辺まで行くと、綺麗に焼払われた湯島台の起伏した地形が一目に見え上野の森が思いもかけない近くに見えた。兵燹という文字が頭に浮んだ。また江戸以前のこの辺の景色・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
・・・というのは熔岩流の表面の峨々たる起伏の形容とも見られなくはない。「その長さ谿八谷峡八尾をわたりて」は、そのままにして解釈はいらない。「その腹をみれば、ことごとに常に血爛れたりとまおす」は、やはり側面の裂罅からうかがわれる内部の灼熱状態を示唆・・・ 寺田寅彦 「神話と地球物理学」
・・・やや平坦なほうの内地は一面に暑そうな靄のようなものが立ちこめて、その奥に波のように起伏した砂漠があるらしい。この気味のわるい靄の中からいろいろの奇怪な伝説が生まれたのだろう。 土人がいろいろの物を売りに来る。駝鳥の卵や羽毛、羽扇、藁細工・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・で読めばただ一目で土地の高低起伏、斜面の緩急等が明白な心像となって出現するのみならず、大小道路の連絡、山の木立ちの模様、耕地の分布や種類の概念までも得られる。 自分は汽車旅行をするときはいつでも二十万分一と五万分一との沿線地図を用意して・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
・・・ 気候の次に重要なものは土地の起伏水陸の交錯による地形的地理的要素である。 日本の島環の成因についてはいろいろの学説がある。しかし日本の土地が言わば大陸の辺縁のもみ砕かれた破片であることには疑いないようである。このことは日本の地質構・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
出典:青空文庫