・・・ 昨年の八月義母に死なれて、父は身辺いっさいのことを自分の手で処理して十一月に出てきて弟たちといっしょに暮すことになったのだが、ようよう半年余り過されただけで、義母の一周忌も待たず骨になって送られることになったのだった。実の母が死んです・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・ この法難から文永五年蒙古来寇のころまで、三、四年間は日蓮の身辺は比較的静安であった。この間に彼の法化が関東の所々にのびたのであった。 七 蒙古来寇の予言 日蓮はさきに立正安国論において、他国侵逼難を予言して幕府・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ たとい彼らにとって当面には、そして現実身辺には、合理的知性の操練と、科学知の蓄積とが適当で、かつユースフルであろうとも、彼らの宇宙的存在と、霊的の身分に関しては、彼らが本来合理的平民の子ではなくして、神秘的の神の胤であることを耳に吹き・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・自分は藤さんの身辺の事情が、いろいろに廻り灯籠の影のように想像の中を廻る。今埠頭場まで駈けつけたら、船はまだ出ないうちかもしれない。隣村の真ん中までは二十町ぐらいはあろうけれど、どこかの百姓馬を飛ばせば訳はない。何だか会って一と言別れがした・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・けれども、全部に負けた、きれいに負けたと素直に自覚して、不思議にフレッシュな気配を身辺に感じることも、たまにはあった。人間はここからだな、そう漠然と思うのであるが、さて、さしあたっては、なんの手がかりもなかった。 このごろは、かれも流石・・・ 太宰治 「花燭」
・・・それは、あなたが一口に高踏派と言われているのと同じくらいの便宜上の分類に過ぎませぬが、私の小説の題材は、いつも私の身辺の茶飯事から採られているので、そんな名前をもらっているのです。私は、「たしかな事」だけを書きたかったのです。自分の掌で、明・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・どこに行ってもその小林君が生きて私の身辺についてまわってきているのを感じた。 かれの眼に映ったシーン、風景、感じ、すべてそれは私のものであった。私はそこの垣の畔、寺の庭、霜解けの道、乗合馬車の中、いたるところに小林君の生きて動いているの・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・そして人々はあたかも急に天から異人が降って来たかのように驚異の眼を彼の身辺に集注した。 彼の理論、ことに重力に関する新しい理論の実験的証左は、それがいずれも極めて機微なものであるだけにまだ極度まで完全に確定されたとは云われないかもしれな・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・それで、もしもわれわれの身辺の現象の時間尺度がわれわれの「生理的時間」の尺度に対して少しでもちがったら、実にたいへんなことになるのである。たとえば音楽にしても聞き慣れたラルゴの曲をプレストで演奏したらもはや何人もそれが何であるかを再認するこ・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・ここにおいて飛耳長目の徒は忽ちわが身辺を揣摩して艶事あるものとなした。 巴里輸入の絵葉書に見るが如き書割裏の情事の、果してわが身辺に起り得たか否かは、これまたここに語る必要があるまい。わたしの敢えて語らんと欲するのは、帝国劇場の女優を中・・・ 永井荷風 「十日の菊」
出典:青空文庫