・・・そして、輓近一部の日本人によって起されたところの自然主義の運動なるものは、旧道徳、旧思想、旧習慣のすべてに対して反抗を試みたと全く同じ理由に於て、この国家という既定の権力に対しても、その懐疑の鉾尖を向けねばならぬ性質のものであった。然し我々・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・邦文には吉田博士の『倫理学史』、三浦藤作の『輓近倫理学説研究』等があるが、現代の倫理学、特に現象学派の倫理学の評述にくわしいものとしては高橋敬視の『西洋倫理学史』などがいいであろう。しかしある人の倫理学はその人の一般哲学根拠の上に築かれない・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・はマッハによって批評されたのみならず、輓近相対性原理の研究と共にさらに多くの変更を余儀なくされた。この原理の発展以来「時」の観念はよほど進化して来たが、それはやはり幾何学の「時」の範囲内での進歩である。 吾人の直感する「時」の観念に随伴・・・ 寺田寅彦 「時の観念とエントロピーならびにプロバビリティ」
・・・事がらが、見方によってはある有限数の型式的要素の空間的排列の方式に関するものであると見る事ができるからである。輓近の数学の種々な方面の異常な進歩はむしろいろいろな新しいこの方面の応用を暗示するようである。また「除外例」というもののある事から・・・ 寺田寅彦 「比較言語学における統計的研究法の可能性について」
・・・またニュートンの力学の基礎は輓近相対原理の発展につれてぐらついて来たには相違ない。しかしこの原理の研究が何程進んでも、ニュートンの力学が廃滅に帰するという訳ではあるまい。日常普通の問題にこれを応用して少しも不都合はないはずである。精巧な測器・・・ 寺田寅彦 「方則について」
・・・明治七年に刊行せられた東京新繁昌記中に其の著者服部撫松は都下の温泉場を叙して、「輓近又処々ニ温泉場ヲ開クモノアリ。各諸州有名ノ暄池ヲ以テ之ニ名ク。曰ク伊豆七湯、曰ク有馬温泉、曰ク何、曰ク何ト。蓋シ其温泉或ハ湯花ヲ汲来ツテ之ヲ湯中ニ和スト云フ・・・ 永井荷風 「上野」
・・・しからずんば、いたずらに筆を援りて賛美の語をのべ、もって責めを塞ぐ。輓近の文士往々にしてしかり。これ直諛なるのみ。余のはなはだ取らざるところなり。これをもって来たり請う者あるごとにおおむねみな辞して応ぜず。今徳富君の業を誦むに及んで感歎措く・・・ 中江兆民 「将来の日本」
・・・ただ私の御注意申し上げたいのは輓近科学上の発見と、科学の進歩に伴って起る周密公平の観察のために道徳界における吾々の理想が昔に比べると低くなった、あるいは狭くなったというだけに過ぎない。だから昔のような理想の持ち方立て方も結構であるかも知れぬ・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・そうして、日本の作物が輓近四五年間に大変進歩したのは、全くこの圏外の競争心の結果ではなかろうかと思われる。 圏外の競争は一方において反撥を意味している。けれどもその反撥の裏面には同化の芽を含んでいる。反撥すると云う事がすでに対者を知らね・・・ 夏目漱石 「文壇の趨勢」
・・・唯、科学隆盛以来、哲学は科学の下婢となったという感なきを得ない。輓近に至って、単に認識論的となり、更に実用主義的ともなった。哲学は哲学自身の問題を失ったかと思われるのである。 私はデカルト哲学へ返れというのではない。唯、なお一度デカ・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
出典:青空文庫