・・・といっている。近松の心中物を見ても分るではないか。傾城の誠が金で面を張る圧制な大尽に解釈されようはずはない。変る夜ごとの枕に泣く売春婦の誠の心の悲しみは、親の慈悲妻の情を仇にしたその罪の恐しさに泣く放蕩児の身の上になって、初めて知り得るので・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・硯友社の芸術を立派なもの、新しいものだと思っていた。近松や西鶴が残した文章で、如何なる感情の激動をもいい尽し得るものと安心していた。音波の動揺、色彩の濃淡、空気の軽重、そんな事は少しも自分の神経を刺戟しなかった。そんな事は芸術の範囲に入るべ・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・世人は元禄の軟文学を論ずる時必西鶴と近松とを並び称しているようであるが、わたくしの見る処では、近松は西鶴に比すれば遥に偉大なる作家である。西鶴の面目は唯その文の軽妙なるに留っている。元禄時代にあって俳諧をつくる者は皆名文家である。芭蕉とその・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・人は『源氏物語』や近松や西鶴を挙げてわれらの過去を飾るに足る天才の発揮と見認めるかも知れないが、余には到底そんな己惚は起せない。 余が現在の頭を支配し余が将来の仕事に影響するものは残念ながら、わが祖先のもたらした過去でなくって、かえって・・・ 夏目漱石 「『東洋美術図譜』」
・・・ 近松になると、もう明瞭に女の女らしさ、男の心に対置されたものとしての女心の独特な波調が、その芸術のなかにとらえられて来ている。よきにつけあしきにつけ主動的であり、積極的である男心に添うて、娘としては親のために、嫁いでは良人のために、老・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・ 徳川時代の文学者としては近松門左衛門にしろ、西鶴、芭蕉にしろ、文学的にはずっと劣るが、有名ではある馬琴だとかが出ている。けれども婦人作家は一人もこの三百年間に出ていない。辛うじて俳句の領域に数人の婦人の名が記されているにすぎない。親や・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・第一回が発表されはじめたこと、遠山葉子氏が西鶴、近松の描いた女性について、元禄文学の科学的批判に着手されていることなど、号を追うて注意をひきつけるものがある。 文化綜合雑誌として目下われわれは『文化集団』『知識』『生きた新聞』『進歩・・・ 宮本百合子 「新年号の『文学評論』その他」
・・・を『中央公論』に連載中の島崎藤村はもちろん、永井荷風、徳田秋声、近松秋江、上司小剣、宮地嘉六などの諸氏が、ジャーナリズムの上に返り咲いたことである。 このことは、ブルジョア文学の動きの上に微妙な影響を与えたばかりでなく「ナルプ」解散後の・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・彼女たちは自分たちの生涯にとって不幸にして幸福な瞬間として、良人以外の男性に好もしさを感じることを押えきれなかった。近松門左衛門は彼の横溢的な浄瑠璃の中で、日本の徳川時代の社会の枷にせかれて身を亡す人間らしい男女の愛の悲劇を歌った。カルメン・・・ 宮本百合子 「人間の結婚」
・・・ 同時代の芸術家として、近松門左衛門や井原西鶴等の生きかたと芭蕉の生涯とは今日の目におのずから対比されて様々に考えさせるところがある。宗房より二つばかり年上であった大阪生れの西鶴は、通称を平山藤五と云い、有徳な町人であった。妻に早世され・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
出典:青空文庫