・・・世の士君子、もしこの順席を錯て、他に治国の法を求めなば、時日を経るにしたがい、意外の故障を生じ、不得止して悪政を施すの場合に迫り、民庶もまた不得止して廉恥を忘るるの風俗に陥り、上下ともに失望して、ついには一国の独立もできざるにいたるべし。古・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・ 左れば当時積弱の幕府に勝算なきは我輩も勝氏とともにこれを知るといえども、士風維持の一方より論ずるときは、国家存亡の危急に迫りて勝算の有無は言うべき限りにあらず。いわんや必勝を算して敗し、必敗を期して勝つの事例も少なからざるにおいてをや・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・ 何物を以ても抗し得ぬ時代の潮に今日も明日もとただよいながら、しばしば私に迫り、ややもすれば私の四肢を、心臓をまひさせ様とした力強い潮流の一つを見出した。 深い紺碧をたたえてとうとうとはて知らず流れ行く其の潮は、水底の数知れぬ小石の・・・ 宮本百合子 「大いなるもの」
・・・黒き衣の陰に大鎌は閃きて世を嘲り見すかしたる様にうち笑む死の影は長き衣を引きて足音はなし只あやしき空気の震動は重苦しく迫りて塵は働きを止めかたずのみて 其の成り行きを見守る。大鎌の奇怪なる角・・・ 宮本百合子 「片すみにかがむ死の影」
・・・ 病む人が己に死の影が刻々と迫りつつあると知った時はどんな気持だろう。実に「生」を求める激しい欲望に満ち満ちて居る。 過去の追憶は矢の様に心をかすめて次々にと現われる嬉しい悲しい思い出はいかほどこの世を去りがたくさせる事だろう。・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・ 窪川稲子の業績や将来の発展というものは、それ故すべての積極的な、忍耐づよい、天分あるプロレタリア作家の生涯に対して云い得るように、全く階級の力の多岐多難な発展の過程とともに語られて初めて本質に迫り得るものであると思う。歴史の新たな担い・・・ 宮本百合子 「窪川稲子のこと」
・・・かように存じているうち、今日御位牌に御焼香いたす場合になり、とっさの間、感慨胸に迫り、いっそのこと武士を棄てようと決心いたした。お場所柄を顧みざるお咎めは甘んじて受ける。乱心などはいたさぬというのである。 権兵衛の答を光尚は聞いて、不快・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ 当庵は斯様に見苦しく候えば、年末に相迫り相果て候を見られ候方々、借財等のため自殺候様御推量なされ候事も可有之候えども、借財等は一切無き某、厘毛たりとも他人に迷惑相掛け申さず、床の間の脇、押入の中の手箱には、些少ながら金子貯えおき候えば・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書(初稿)」
・・・きょうは米子に往かんと、かねて心がまえしたりしが、偶々信濃新報を見しに、処々の水害にかえり路の安からぬこと、かずかず書きしるしたれば、最早京に還るべき期も迫りたるに、ここに停まること久しきにすぎて、思いかけず期に遅るることなどあらんも計られ・・・ 森鴎外 「みちの記」
・・・そうしてこの成長、突破が年ごとに迫り行くところは、ただ偉大な古典的作品にのみ見られる無限の深さ、底知れぬ神秘感、崇高な気品、清朗な自由、荘重な落ちつきである。自分は正直に白状するが去年美術院の展覧会で初めてルノアルの原画を見たときにも、岸田・・・ 和辻哲郎 「『劉生画集及芸術観』について」
出典:青空文庫