・・・ ここに適例がある、富岡門前町のかのお縫が、世話をしたというから、菊枝のことについて記すのにちっとも縁がないのではない。 幕府の時分旗本であった人の女で、とある楼に身を沈めたのが、この近所に長屋を持たせ廓近くへ引取って、病身な母親と、長・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ そのような侵略的な宣伝が現在どこにあるかと聞かれるとすぐ適例をあげる事は困難かもしれない。しかし現在の宣伝という言葉には、いつでも、どことなしにそういう「におい」があり「影」があると言えば、それはおそらく多くの人が首肯するであろう。あ・・・ 寺田寅彦 「神田を散歩して」
・・・仮定の抜けている理論の無価値なことを示す適例である。この場合の機巧もまだ全く闇の中にある。ことによると、これは electrocapillary phenomena を考えに入れて始めて明らかにさるべき現象かと想像される。でなければコロイド・・・ 寺田寅彦 「自然界の縞模様」
・・・火災防止のごときは実に後者の適例の一つである。おそらく世界第一の火災国たる日本の消防がほとんど全く科学的素養に乏しい消防機関の手にゆだねられ、そうして、いちばん肝心な基礎科学はかえって無用の長物ででもあるように火事場からはいっさい疎外されて・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・物をそのままに見て、そして偏見なしに描こうとする近代の試みの好適例であるうんぬん。」壁に布切れやしわくちゃの紙片をだらしなく貼りつけたのをバックにして、平凡な牛乳びんに二本のポインセチアが無雑作に突きさしてあるだけである。全体の感じはなるほ・・・ 寺田寅彦 「病室の花」
・・・殊に第一のクライマックスは最も極端なアブノーマル・エロチシズムの適例として見ることも出来はしないかと想像される。 こういうものが如何なる時代に如何なる人の需めによって如何なる人によって制作されたかということは、色々な問題に聯関して研究さ・・・ 寺田寅彦 「山中常盤双紙」
・・・しかし一人の科学者の仕事が如何にその人の人格と環境とを鮮明に反映するかを示す好適例の一つを吾々はこのレーリー卿に見るのである。 冒頭に掲げた写真は一九〇一年五十九歳のときのである。マクスウェルとケルヴィンとレーリーとこの三人の写真を比べ・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・しかしちょうど今言ったような場合の好適例はまだ見いださないのであるが、そのかわりに個々の作者についていろいろな観念群とでも名づくべきものの明白に見えるものを発見することはできた。 たとえば岩波文庫の芭蕉連句集のとの中から濁子という人の句・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・その黙するや、これをいうを忘れたるに非ず、時あっていうときは、その言も亦適切にして、忌憚するところなきがゆえに、時としては俗耳を驚かすことなきに非ざれども、これはただ聴者不学の罪のみ。その適例は近きにあり。 近来世上に民権の議論しきりに・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
・・・ 彼の人が斯う云う病気になった時は、私が丁度遺伝と云う事に何となし心を引かれて居た時だったので非常に悲痛な適例を見せられた気がした。 今更恐ろしさに身震をせずには居られなかった。 自分の慰安を得るために、未来はてしなく産れ出づべ・・・ 宮本百合子 「ひととき」
出典:青空文庫