・・・酒の自由に飲めない彼らは、かかる映画の上に自分を投射して、そこに酌みかわされる美禄に酔うのである。これらの点でこれらの映画はジャズ音楽とまさに同種類の芸術である。ジャズも客観的に鑑賞するものではなくて、自分で踊り狂うと同価値の活動そのものだ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・酒を買って酔を催すのも徒事である。酔うて人を罵るに至っては悪事である。烟草を喫するのもまた徒事。書を購って読まざるもまた徒事である。読んで後記憶せざればこれもまた徒事にひとしい。しかしながら為政者のなす所を見るに、酒と烟草とには税を課してこ・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・ 町中の堀割に沿うて夏の夕を歩む時、自分は黙阿弥翁の書いた『島鵆月白浪』に雁金に結びし蚊帳もきのふけふ――と清元の出語がある妾宅の場を見るような三味線的情調に酔う事がしばしばある。 観潮楼の先生もかつて『染めちがえ』と題する短篇小説・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・殊に瞽女を知ってからというもの彼は彼の感ずる程度に於て歓楽に酔うて居た。二十年の歓楽から急転し彼は備さに其哀愁を味わねばならなくなった。一大惨劇は相尋いで起った。六 夜毎に月の出は遅くなった。太十は精神の疲労から其夜うとうと・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・、両性の交際を厳にして徹頭徹尾潔清の節を守り、俯仰天地に愧ずることなからんとするには、人生甚だ長くしてその間に千種万様の事情あるにもかかわらず、自ら血気を抑えて時としては人の顔色をも犯し、世を挙って皆酔うの最中、独り自ら醒め、独行勇進して左・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・私のおやじは紫紺の根を掘って来てお酒ととりかえましたが私は紫紺のはなしを一寸すればこんなに酔うくらいまでお酒が呑めるのです。 そらこんなに酔うくらいです。」 山男は赤くなった顔を一つ右手でしごいて席へ座りました。 みんなはざわざ・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
・・・太ったもう一人の弟は被った羽織の下で四足で這いながら自分が本当の虎になったような威力に快く酔う。 そんなことをして遊ぶ部屋の端が、一畳板敷になっていた。三尺の窓が低く明いている。壁によせて長火鉢が置いてあるが、小さい子が三人並ぶゆと・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
第一私どもの目からみると議会内の大蔵委員会という重要な新給与予算の委員会席上で、あんなに酔うほど酒がでるということがそもそもひどいことだと思います。なにもうちでのめない連中ではなし、ごあいきょうの程度をこえています。公務員・・・ 宮本百合子 「泉山問題について」
・・・誰だったか、丸く酔わないで三角に酔うと云ったが、己は三角に酔ったようだ。それに深淵奴があんな話をしやがるものだから、不愉快になってしまった。あいつ奴、妙な客間を拵えやがったなあ。あいつの事だから、賭場でも始めるのじゃあるまいか。畜生。布団は・・・ 森鴎外 「鼠坂」
・・・涙で声を詰まらせながら、酒に酔うたもののようにふらふらしながらこの老人は幾度も同じことを繰り返して造花を振り回しました。祖父は九十二歳まで生きたのです。そうしてこの祖父が生きていたことは、この界隈の老人連に対して、生命の保証のように感じられ・・・ 和辻哲郎 「土下座」
出典:青空文庫