・・・で、自分は自分の標準に依って訳する丈けの手腕がないものと諦らめても見たが、併しそれは決して本意ではなかったので、其の後とても長く形の上には、此の方針を取っておった。 処で、出来上った結果はどうか、自分の訳文を取って見ると、いや実に読みづ・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・ 今まで一句を作るにこんなに長く考えた事はなかった。余り考えては善い句は出来まいが、しかしこれがよほど修行になるような心持がする。此後も間があったらこういうように考えて見たいと思う。〔『ホトトギス』第二巻第二号 明治31・11・10〕・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・ *船はいま黒い煙を青森の方へ長くひいて下北半島と津軽半島の間を通って海峡へ出るところだ。みんなは校歌をうたっている。けむりの影は波にうつって黒い鏡のようだ。津軽半島の方はまるで学校にある広重の絵のようだ。山の谷が・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・女はどうも髪が長くて、智慧が短いと辛辣めかして云うならば、その言葉は、社会の封建性という壁に反響して、忽ち男は智慧が短かく、髪さえ短かい、と木魂して来る性質のものであると、民主社会では諒解されているのである。 本誌の、この号には食糧問題・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
・・・その中にも百姓の強壮な肺の臓から発する哄然たる笑声がおりおり高く起こるかと思うとおりおりまた、とある家の垣根に固く繋いである牝牛の長く呼ばわる声が別段に高く聞こえる。廐の臭いや牛乳の臭いや、枯れ草の臭い、及び汗の臭いが相和して、百姓に特有な・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・ 書いたら長くなったが、これは一秒時間の事である。 隣の間では、本能的掃除の音が歇んで、唐紙が開いた。膳が出た。 木村は根芋の這入っている味噌汁で朝飯を食った。 食ってしまって、茶を一杯飲むと、背中に汗がにじむ。やはり夏は夏・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・役人は極優しい声でこう云った。長く浄火の中にいたものには、詞遣を丁寧にすることになっているのである。 ツァウォツキイは翌日申立をした。 役人が紙切をくれた。それに「二十四時間賜暇」と書いてあった。 それから押丁がツァツォツキイを・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・ こうしてボナパルトの知られざる夜はいつも長く明けていった。その翌日になると、彼の政務の執行力は、論理のままに異常な果断を猛々しく現すのが常であった。それは丁度、彼の猛烈な活力が昨夜の頑癬に復讐しているかのようであった。 そうして、・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・随分長く起きています。」こんな問答をしているうちに、エルリングは時計を見上げた。「御免なさい。丁度夜なかです。わたしはこれから海水浴を遣るのです。」 己は主人と一しょに立ち上がった。そして出口の方へ行こうとして、ふと壁を見ると、今まで気・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・どれほど長くこの光景に見とれていたかということも、はっきりとは覚えていない。が、やがてわれわれは、船頭のすすめるままに、また舟を進ませた。蓮の花の世界の中のいろいろな群落を訪ね回ったのである。そうしてそこでもまたわれわれは思いがけぬ光景に出・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
出典:青空文庫