・・・西向きの家の前は往来を隔てた杉山と、その上の二千尺もあろうという坊主山で塞がれ、後ろの杉や松の生えた山裾の下の谷間は田や畠になっていて、それを越えて見わたされる限りの山々は、すっかり林檎畠に拓かれていた。手前隣りの低地には、杉林に接してポプ・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・障子は隔ての関を据えて、松は心なく光琳風の影を宿せり。客はそのまま目を転じて、下の谷間を打ち見やりしが、耳はなお曲に惹かるるごとく、髭を撚りて身動きもせず。玉は乱れ落ちてにわかに繁き琴の手は、再び流れて清く滑らかなる声は次いで起れり。客はま・・・ 川上眉山 「書記官」
上 都より一人の年若き教師下りきたりて佐伯の子弟に語学教うることほとんど一年、秋の中ごろ来たりて夏の中ごろ去りぬ。夏の初め、彼は城下に住むことを厭いて、半里隔てし、桂と呼ぶ港の岸に移りつ、ここより校舎に通い・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・ お浪は今明らかに源三の本心を読んで取ったので、これほどに思っている自分親子をも胸の奥の奥では袖にしている源三のその心強さが怨めしくもあり、また自分が源三に隔てがましく思われているのが悲しくもありするところから、悲痛の色を眉目の間に浮め・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・ぬか、きっと済みませぬ、その済まぬは誰へでござります、先祖の助六さまへ、何でござんすと振り上げてぶつ真似のお霜の手を俊雄は執らえこれではなお済むまいと恋は追い追い下へ落ちてついにふたりが水と魚との交を隔て脈ある間はどちらからも血を吐かせて雪・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・私はそれを植木坂の上のほうにも、浅い谷一つ隔てた狸穴の坂のほうにも聞きつけた。私たちの住む家は西側の塀を境に、ある邸つづきの抜け道に接していて、小高い石垣の上を通る人の足音や、いろいろな物売りの声がそこにも起こった。どこの石垣のすみで鳴くと・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・自分は、水を隔てて斜に向き合って芝生に踞む。手を延ばすなら、藤さんの膝にかろうじて届くのである。水は薄黒く濁っていれど、藤さんの翳す袂の色を宿している。自分の姿は黒く写って、松の幹の影に切られる。「また浮きますよ」と藤さんがいう。指すと・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・左の方の、黄いろみ掛かった畑を隔てて村が見える。停車場には、その村の名が付いているのである。右の方には沙地に草の生えた原が、眠そうに広がっている。 二人の百姓は、町へ出て物を売った帰りと見えて、停車場に附属している料理店に坐り込んで祝杯・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・けれど七、八里を隔てたこの満洲の野は、さびしい秋風が夕日を吹いているばかり、大軍の潮のごとく過ぎ去った村の平和はいつもに異ならぬ。 「今度の戦争は大きいだろう」 「そうさ」 「一日では勝敗がつくまい」 「むろんだ」 今の・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・それにもかかわらず、作者によってはその心像の顔が非常に近く明瞭に浮ぶのと、なんだか遠い処にぼんやり霞を隔てて見るように思われるのとあるように思う。場合によってその作者の顔が出て来ないで、百人一首の中の画像が出て来たり西洋の詩人の顔が出て来た・・・ 寺田寅彦 「宇都野さんの歌」
出典:青空文庫