・・・妻を離別するも可なり、妾を畜うも可なり、一妾にして足らざれば二妾も可なり、二妾三妾随時随意にこれを取替え引替うるもまた可なり。人事の変遷、長き歳月を経る間には、子孫相続の主義はただに口実として用いらるるのみならず、早く既にその主義をも忘却し・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・それも句にならぬので、題詩から離別の宴を聯想した。離筵となると最早唐人ではなくて、日本人の書生が友達を送る処に変った。剣舞を出しても見たが句にならぬ。とかくする内に「海楼に別れを惜む月夜かな」と出来た。これにしようと、きめても見た。しかし落・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・ それがそこから離別することが人間的誠実とは思われる習慣となり、やがて悪癖となった。 バルザックが、たとえ混乱を被いがたいにせよ、政治をも人間生活の現実として見る力のあったことは、彼が偉大な作家であったことをはずかしめない。 バ・・・ 宮本百合子 「折たく柴」
・・・ 当時、又、どうしたわけだったのか祖母が父の留守中に母を離別させてしまおうとして、伯父をつついて書かしてやった手紙がロンドンから父の手紙の中に封入されて母の手許に渡ったようなこともあり、普通の留守を守るというより遙に複雑な関係が母をかこ・・・ 宮本百合子 「母」
・・・こうした心情生活が、殆ど完璧の域にあったことの記憶の中に説明のつきかねることの往々ある離別の秘密がひそんでいるのだ。」「銭金のことは、どんなことでも円く行くもの、しかし感情は情容赦を知らないものである。」 バルザックがこれを知っ・・・ 宮本百合子 「バルザックについてのノート」
・・・ゲーテは女との結合、離別に際していつも自身の天才に対する、或る点では坊ちゃんらしい自尊自衛から自由になり得ていないのであるが、ゴーリキイは自分の才能と女の天分との比較裁量などということはしていない。一人の女としてその女なりの生活を認め、同時・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイによって描かれた婦人」
・・・幸いその子は舅の末弟の息子であり、その妻君が離別された後ひきとられて育てられていたのだということが判明しました。 父は純真な性格の人で、三十歳ではあったがそれ迄道楽もせずにいました。互に諒解が行ったらしいが、明治三十二年の末頃生れて百日・・・ 宮本百合子 「わが母をおもう」
・・・そこへは病気のまだ好くならぬ未亡人の外、りよを始、親戚一同が集まって来て、先ず墓参をして、それから離別の盃を酌み交した。住持はその席へ蕎麦を出して、「これは手討のらん切でございます」と、茶番めいた口上を言った。親戚は笑い興じて、只一人打ち萎・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫