・・・ 近頃は戦さの噂さえ頻りである。睚眦の恨は人を欺く笑の衣に包めども、解け難き胸の乱れは空吹く風の音にもざわつく。夜となく日となく磨きに磨く刃の冴は、人を屠る遺恨の刃を磨くのである。君の為め国の為めなる美しき名を藉りて、毫釐の争に千里の恨・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・こっそり立ってクリーム色の壁のむこうを覗いて見たい気が頻りにした。――医者は動くことを禁じている。―― 彼は、指先に力を入れてジーッとベルを押した。 跫音がして扉が裏側にれんをはりつけて開いた、彼女は、今度も把手に左手をかけたまま、・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・然し、人気なく木立に蝉の声が頻りな中に、お成座敷の古い茅屋根の軒下に繁る秋草などを眺めると、或る落付きがある。私共は座敷にある俳句を読んだりした。「どうです? 一句――」 呑気に俳句の話が弾んだ。「百日紅というのだけは浮んだんで・・・ 宮本百合子 「九月の或る日」
出典:青空文庫