・・・何事も解せぬ風情に、驚ろきの眉をわが額の上にあつめたるアーサーを、わが夫と悟れる時のギニヴィアの眼には、アーサーは少らく前のアーサーにあらず。 人を傷けたるわが罪を悔ゆるとき、傷負える人の傷ありと心付かぬ時ほど悔の甚しきはあらず。聖徒に・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・遺言としても避けねばならぬ、と云って左右へよけようとすると御両君のうちいずれへか衝突の尻をもって行かねばならん、もったいなくも一人は伯爵の若殿様で、一人は吾が恩師である、さような無礼な事は平民たる我々風情のすまじき事である、のみならず捕虜の・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・すべての軒並の商店や建築物は、美術的に変った風情で意匠され、かつ町全体としての集合美を構成していた。しかもそれは意識的にしたのでなく、偶然の結果からして、年代の錆がついて出来てるのだった。それは古雅で奥床しく、町の古い過去の歴史と、住民の長・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・ 平田は待ちかねたという風情で、「小万さん、一杯献げようじゃアないかね」「まアお熱燗いところを」と、小万は押えて平田へ酌をして、「平田さん、今晩は久しぶりで酔ッて見ようじゃありませんか」と、そッと吉里を見ながら言ッた。「そうさ」・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・また厳島の句あるを見るにこの地の風情写し得て最も妙なり、空想の及ぶべきにあらず。蕪村あるいはここにも遊べるか。蕪村は読書を好み和漢の書何くれとなくあさりしも字句の間には眼もとめず、ただ大体の趣味を翫味して満足したりしがごとし。俳句に古語古事・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・しかもシグナレス風情と、いったい何をにやけていらっしゃるんです」 いきなり本線シグナルつきの電信柱が、むしゃくしゃまぎれに、ごうごうの音の中を途方もない声でどなったもんですから、シグナルはもちろんシグナレスも、まっ青になってぴたっとこっ・・・ 宮沢賢治 「シグナルとシグナレス」
・・・昔新響の演奏会で指揮棒を振っていた後姿、その手首の癖などを見馴れた近衛秀麿氏が水もしたたる島田娘の姿になって、眼ざしさえ風情ありげにうつっているのもまことに感服ものであるが、その左側に文麿公が、髪までをヒットラー風に額へかきおろし、腕に卍の・・・ 宮本百合子 「仮装の妙味」
・・・何でも松平さんの持地だそうであったが、こちらの方は、からりとした枯草が冬日に照らされて、梅がちらほら咲いている廃園の風情が通りすがりにも一寸そこへ入って陽の匂う草の上に坐って見たい気持をおこさせた。 杉林や空地はどれも路の右側を占めてい・・・ 宮本百合子 「からたち」
・・・ 母が立ち去った跡で忍藻は例の匕首を手に取り上げて抜き離し、しばらくは氷の光をみつめてきっとした風情であったが、またその下からすぐに溜息が出た,「匕首、この匕首……さきにも母上が仰せられたごとくあの刀禰の記念じゃが……さてもこれを見・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・さすがの美人が憂に沈でる有様、白そうびが露に悩むとでもいいそうな風情を殿がフト御覧になってからは、優に妙なお容姿に深く思いを寄られて、子爵の御名望にも代られぬ御執心と見えて、行つ戻りつして躊躇っていらっしゃるうちに遂々奥方にと御所望なさった・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫