・・・ この、秋はまたいつも、食通大得意、というものは、木の実時なり、実り頃、実家の土産の雉、山鳥、小雀、山雀、四十雀、色どりの色羽を、ばらばらと辻に撒き、廂に散らす。ただ、魚類に至っては、金魚も目高も決して食わぬ。 最も得意なのは、も一・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ドダイ西洋料理を旨がる田舎漢では食物の咄は出来ないというのが緑雨の食通であったらしかった。 本所を引払って、高等学校の先きの庭の広いので有名な奥井という下宿屋の離れに転居した頃までは緑雨はマダ紳士の格式を落さないで相当な贅をいっていた。・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・無論食通ではなかったが、始終かなり厳ましい贅沢をいっていた。かつ頗る健啖家であった。 私が猿楽町に下宿していた頃は、直ぐ近所だったので互に頻繁に往来し、二葉亭はいつでも夕方から来ては十二時近くまで咄した。その頃私は毎晩夜更かしをして二時・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
食通というのは、大食いの事をいうのだと聞いている。私は、いまはそうでも無いけれども、かつて、非常な大食いであった。その時期には、私は自分を非常な食通だとばかり思っていた。友人の檀一雄などに、食通というのは、大食いの事をいう・・・ 太宰治 「食通」
・・・食べる人もあるが、それは食通とはいえない。イイダコ カニやイイダコ釣りも小さいころからよくやった。丸アミの中心にイワシの頭をくくりつけ、ラムネのびんをオモリにして沈めておけば、カニはその中に入って来る。このごろ、子供たちがよ・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
出典:青空文庫