・・・しかし彼等は二人とも、病さえ静に養うに堪えない求馬の寂しさには気がつかなかった。 やがて寛文十年の春が来た。求馬はその頃から人知れず、吉原の廓に通い出した。相方は和泉屋の楓と云う、所謂散茶女郎の一人であった。が、彼女は勤めを離れて、心か・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・母はどう云う量見か、子でもない私を養うために、捨児の嘘をついたのでした。そうしてその後二十年あまりは、ほとんど寝食さえ忘れるくらい、私に尽してくれたのでした。「どう云う量見か、――それは私も今日までには、何度考えて見たかわかりません。が・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・沢本 そうすると、俺たちはうんと飯を食って底力を養うことができるぞ。青島 そうだ。沢本 ああ早く我らの共同の敵なるフィリスティンどもが来るといいなあ。おい若様、少し働こう。二人であらかた画室を片づける。花田と戸部と・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・人の目にかからぬ木立の間を索めて身に受けた創を調べ、この寂しい処で、人を怖れる心と、人を憎む心とを養うより外はない。 たった一度人が彼に憫みを垂れたことがある。それは百姓で、酒屋から家に帰りかかった酔漢であった。この男は目にかかる物を何・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・「ああ、養うよ。朝から晩まですきな時に湯に入れて、御飯を食べさして、遊ばしておけばそれでよかろうがね。」「勿体ないくらい、結構だな。」「そのくらいなら……私が働く給金でして進ぜるだ。」「ほんとかい。」「それだがね、旦那さ・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・省作はしばらく井戸ばたにたたずんで気を養うている。井戸から東へ二間ほどの外は竹藪で、形ばかりの四つ目垣がめぐらしてある。藪には今藪鶯がささやかな声に鳴いてる。垣根のもとには竜の髭が透き間なく茂って、青い玉のなんともいえぬ美しい実が黒い茂り葉・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ユトランドの荒地は今やこの強梗なる樹木をさえ養うに足るの養分を存しませんでした。 しかしダルガスの熱心はこれがために挫けませんでした。彼は天然はまた彼にこの難問題をも解決してくれることと確信しました。ゆえに彼はさらに研究を続けました。し・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・そのため彼等はやがて高等文官試験に合格した日、下宿の娘の誘惑に陥らないような克己心を養うことに、不断の努力をはらっていた。もっとも手ぐらいは握っても、それ以上の振舞いに出なければ構わぬだろうという現金な考えを持っていたかも知れない。 何・・・ 織田作之助 「髪」
・・・「妻子養うに十分の収益あり」という甘い文句の見出しで、店舗の家賃、電灯・水道代は本舗より支弁し、薬は委託でいくらでも送る。しかも、すべて卓効疑いのない請合薬で、卸値は四掛けゆえ十円売って六円の儲けがある。なお、売れても売れなくても、必ず・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・事実は、私が妻子たちを養うことができないため、妻の兄の好意で、妻子たちを田舎へ伴れて行ってくれたのだ。しかし私としては、どこまでも妻子たちとは離れたくなかったのだ。私はむりに伴れて行かれる気がした。暴虐――そんな気さえしたのだ。それでも、私・・・ 葛西善蔵 「遁走」
出典:青空文庫