・・・足を舷端にかけ櫓に力加えしとみるや、声高らかに歌いいでぬ。 海も山も絶えて久しくこの声を聞かざりき。うたう翁も久しくこの声を聞かざりき。夕凪の海面をわたりてこの声の脈ゆるやかに波紋を描きつつ消えゆくとぞみえし。波紋は渚を打てり。山彦はか・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・ かくて智恵と力をはらんで身の重きを感じたツァラツストラのように、張り切った日蓮は、ついに建長五年四月二十八日、清澄山頂の旭の森で、東海の太陽がもちいの如くに揺り出るのを見たせつなに、南無妙法蓮華経と高らかに唱題して、彼の体得した真理を述べ・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・て声さえ立てて居れば宜いので、毎日のことゆえ文句も口癖に覚えて悉皆暗誦して仕舞って居るものですから、本は初めの方を二枚か三枚開いたのみで後は少しも眼を書物に注がず、口から出任せに家の人に聞えよがしに声高らかに朗々と読んで居るのです。而して誰・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・その頃のわが家を想い出してみると、暗いランプに照らされた煤けた台所で寒竹の皮を剥いている寒そうな母の姿や、茶の間で糸車を廻わしている白髪の祖母の袖無羽織の姿が浮び、そうして井戸端から高らかに響いて来る身に沁むような蟋蟀の声を聞く想いがするの・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・今日は彼岸にや本堂に人数多集りて和尚の称名の声いつもよりは高らかなるなど寺の内も今日は何となく賑やかなり。線香と花估るゝ事しきりに小僧幾度か箒引きずって墓場を出つ入りつ。木魚の音のポン/\たるを後に聞き朴歯の木履カラつかせて出で立つ。近辺の・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・ と高らかに、叫ぶ声があがった。 五十人も、百人もの声である。「何だろう?」 夫婦は、眼を見合した。「どれ……」 お初が起って行った。そして怖々に、障子を開けて塀越しに覗くと、そのまま息を凝らしてしまった。「何だ・・・ 徳永直 「眼」
・・・と椽に端居して天下晴れて胡坐かけるが繰り返す。兼ねて覚えたる禅語にて即興なれば間に合わすつもりか。剛き髪を五分に刈りて髯貯えぬ丸顔を傾けて「描けども、描けども、夢なれば、描けども、成りがたし」と高らかに誦し了って、からからと笑いながら、室の・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・ 宏壮なビルディングは空に向って声高らかに勝利を唄う。地下室の赤ん坊の墳墓は、窓から青白い呪を吐く。 サア! 行け! 一切を蹂躙して! ブルジョアジーの巨人! 私は、面会の帰りに、叩きの廊下に坐り込んだ。 ――典獄に会わ・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・その時話していた人のその日の記念日のわけを説明する講演が終ったら、演台の下にひかえている音楽隊が高らかに、あっちの国歌になっている歌の一節を奏した。そしたら、司会者が、いきなり、今度は日本の女の人が皆に挨拶をするからといってしまった。 ・・・ 宮本百合子 「打あけ話」
・・・平明に、こだわりなく天と地とがぽーっと胸を打ち開いて、高らかな天然の樹木、人間の耕作物をいだきのせている。自動車という文明の乗物できまった村街道を進むのではあるが、外の自然を見ていると、空気に、日光に、原始的な、神代めいた朗かさ、自由さ、豊・・・ 宮本百合子 「九州の東海岸」
出典:青空文庫