・・・仁右衛門は農場に帰るとすぐ逞しい一頭の馬と、プラオと、ハーローと、必要な種子を買い調えた。彼れは毎日毎日小屋の前に仁王立になって、五カ月間積り重なった雪の解けたために膿み放題に膿んだ畑から、恵深い日の光に照らされて水蒸気の濛々と立上る様を待・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ところが闇市でこっそり拡げた風呂敷包にはローソクが二三十本、俺だけは断じて闇屋じゃないと言うたちゅう、まるで落し話ですな。ローソクでがすから闇じゃないちゅう訳で……。けッけッけッ……」 自分で洒落を説明すると、まず私の顔色をうかがってこ・・・ 織田作之助 「世相」
・・・とぼとぼと瞬く灯の下で活字を追っていると、窓の外を夜遊びして帰った寮生の連中が、「ローベンはよせ」「糞勉強はやめろ」などと怒鳴りながら通って行く。その声を聞きつつ何か勝利感に似たものをハッキリと覚えている。 読書は自信感を与えるものであ・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・経理室から配給された太い、白い、不透明なローソクは、棚の端に、二三滴のローを垂らして、その上に立てゝあった。殺伐な、無味乾燥な男ばかりの生活と、戦線の不安な空気は、壁に立てかけた銃の銃口から臭う、煙哨の臭いにも、カギ裂きになった、泥がついた・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・新宅には三階に寝る妹とカーロー君とジャック君とアーネスト君である。カーロー君とジャック君は犬の名であってアーネスト君はここの主人の店に使っている若き人間の名である。我輩の敬服しかつ辟易するベッジパードンは解雇されてしまった。我輩は移転後にこ・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・第一の精霊 サテサテマア、何と云うあったかな事だ、飛切りにアポロー殿が上機嫌だと見えるワ。日影がホラ、チラチラと笑って御ざる。第二の精霊 アポロー殿が上機嫌になりゃ私共までいや、世の中のすべてのものが上機嫌じゃがその中にたっ・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・人生の風波の間に、自分という可愛い小舟をホンローさせず、人間、女として自身の進路を見出してゆかなければならないと思います。 どうか皆さま、お元気に。よろこびが、あなたの前途にみちているように。苦しみと悲しみがあなたを囲んだとき、涙の・・・ 宮本百合子 「新しい卒業生の皆さんへ」
・・・ うす暗いローソクの下で地獄の絵にせなかを向けて或る晩女は自分の体のすっかりうつる鏡に立って居た。頬は丸い唇も赤くて髪も黒いけれども女は目のまわりにあるうす黒いかげと頬にたった一つ茶色のシミの出来たのを見つけた。「私の美くしさの下り・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・ ロンドンのローヤル・ソサエティー・オヴ・ブリティッシュ・アカデミーから、父の閲歴について問い合わせが来て、それに答える下書を国男が書き二階の私のところへ持って来た。父の生れた年は明治元年でペシコフと同年でした。只一八六八でいいか、A・・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ 夜ふけのローソク スエ子が、 ふっとふき消した、のにベッドのシーツのところが一部分白く、硝子もあかるく見えている。月がさしているようで、雨の音がしているのに 思わず目を上へやって見る、すると黒い幕を下からスッと・・・ 宮本百合子 「心持について」
出典:青空文庫