出典:gooニュース
「宝暦治水」で犠牲の薩摩義士しのぶ 桑名の海藏寺で270回忌追悼供養大法要 三重
桑名市の宝暦治水薩摩義士顕彰奉賛会を代表し、山守拓治さんは「難工事で多くの犠牲者を出したことは痛恨の極みだが、270年たった今も不滅の偉業です」とたたえた。 鹿児島県からも、鹿児島県薩摩義士顕彰会や、霧島市道義高揚・豊かな心推進協議会の関係者らが参列した。
木曽三川の宝暦治水の薩摩義士、桑名で270回忌追悼法要
江戸中期の「宝暦治水」で命を落とした薩摩藩士を弔う薩摩義士270年忌追悼供養法要が25日、三重県桑名市北寺町の海蔵寺で開かれた。宝暦治水薩摩義士顕彰奉賛会と同寺の共催で、地元のほか、鹿児島、岐阜、愛知の各県から関係者らが参列した。 宝暦治水(1754~55年)では、江戸幕府から命じられた薩摩藩が、家老の平田靱負(ゆきえ)ら約950人を鹿児島から派遣した。
難工事遂げ宝暦治水で犠牲になった薩摩藩士を供養 桑名・海蔵寺
追悼の言葉として、宝暦治水薩摩義士顕彰奉賛会(桑名市)の代表者が「想像を絶する難工事を成し遂げた薩摩義士を、いつまでも後世に顕彰していく」と述べた。鹿児島県薩摩義士顕彰会の代表者は「故郷の薩摩に戻ることなく亡くなった94人がこの地域に眠っている。皆さまの手厚い供養に感謝します」と語った。 宝暦治水は木曽川、長良川、揖斐川に堤防を築くなどした。
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