のむらかつや【野村克也】
[1935〜2020]プロ野球選手・監督。京都の生まれ。昭和29年(1954)南海(福岡ソフトバンクの前身)に入団。昭和40年(1965)戦後初の三冠王を獲得。昭和45年(1970)から昭和52年(1977)は選手兼任監督として活躍。本塁打王9回、打点王7回、通算657本塁打など、数々の記録を樹立。引退後はヤクルト・阪神・楽天などの監督を歴任した。
のむらきちさぶろう【野村吉三郎】
[1877〜1964]海軍軍人・外交官。和歌山の生まれ。軍令部次長・鎮守府司令長官・外相などを経て駐米大使。太平洋戦争開戦まで日米交渉にあたった。
のむらこどう【野村胡堂】
[1882〜1963]小説家・音楽評論家。岩手の生まれ。本名、長一。「銭形平次捕物控」などで大衆文学の新生面を開く一方、「あらえびす」の筆名で「ロマン派の音楽」なども執筆。
出典:gooニュース
【日本ハム】新庄剛志監督が野村佑希の4番継続を明言 試合前には助言「僕が慌てて詰まるバッターだったから…」
◆パ・リーグ 日本ハム2―7西武(13日・エスコンフィールド) 日本ハムの新庄剛志監督が試合後、今後も野村佑希内野手を4番で起用していくことを明言した。 4番で出場した野村は、3回2死一、三塁、ファウルで粘った10球目、西武先発・渡辺の150キロを右前適時打。
【日本ハム】野村佑希、適時打で真の4番昇格 送球顔面直撃出血も「大丈夫」マスクマンでプレー
日本ハム野村佑希内野手(24)が3回2死一、三塁で右前に3試合ぶりの適時打を放った。チーム14試合目(1試合欠場)で10打点に達し、新庄剛志監督(53)は約束していた15試合を待たずに、今後も4番として起用していくことを明言した。4回の守備で顔面を負傷後は患部をマスクで覆った“マスク・ド・ジェイ”としてフル出場。チームは2カードぶりの負け越しも、軸となる4番を固め、再進撃の流れをつくっていく。
日本ハム・野村の黒マスクは新庄監督の勧め「暑そうでしょ。マスクしたらって」 送球直撃の口元隠す 青ネックウオーマーから試合途中に変更
試合後、新庄監督は野村にアドバイスしたと明かし「あれ(ネックウオーマー)暑そうでしょ。暑い暑いって言ってたから。もう、マスクしたら?って」と説明。「(野村が)マスクしていいんですか?って言うから、いいやろって。怒られたら取りゃいいよって」と助言した。
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