はら‐マルチノ【原マルチノ】
[1568?〜1629]安土桃山時代の天正遣欧使節の副使。肥前の人。マルチノは洗礼名で、本名は未詳。帰国後、通訳・出版に活躍。
ビスカイノ【Sebastián Vizcaíno】
[1551〜1615]スペインの対日特派使節。日本近海の金銀島調査と、フィリピン総督の遭難救助に対する謝礼の使として来日。徳川家康・秀忠に謁見し、支倉常長の船で帰航。
ふくざわ‐ゆきち【福沢諭吉】
[1835〜1901]啓蒙思想家・教育家。大坂の生まれ。豊前(ぶぜん)中津藩士。大坂で蘭学を緒方洪庵に学び、江戸に蘭学塾(のちの慶応義塾)を開設、のち、独学で英学を勉強。三度幕府遣外使節に随行し...
フルベッキ【Guido Herman Fridolin Verbeck】
[1830〜1898]オランダ人宣教師。1859年(安政6)米国のオランダ改革派教会から派遣されて来日。明治維新後、大学南校頭取、また政府顧問となり、岩倉使節団の派遣、ドイツ医学の採用などを進言...
マカートニー【George Macartney】
[1737〜1806]英国の政治家・外交官。英国最初の使節として清国に派遣され、1793年乾隆(けんりゅう)帝に謁見、英清貿易の拡大などを求めたが、成功しなかった。
むらがき‐のりまさ【村垣範正】
[1813〜1880]江戸末期の幕臣。江戸の人。号、淡叟。安政元年(1854)ロシア使節プチャーチンと応対。のち、箱館奉行・外国奉行・神奈川奉行・遣米使節副使などを歴任。
もくけんれんていしゅ【目犍連帝須】
《パーリ名Moggaliputta Tissaの音写》古代インドの僧。マウリア王朝のアショーカ王の師となり、王子マヒンダを出家させてセイロン伝道の使節とした。
ラックスマン【Adam Kirillovich Laksman】
[1766〜?]ロシアの軍人。同国最初の遣日使節。寛政4年(1792)漂流民大黒屋光太夫の送還を名目に根室に来航し国交を要求したが、幕府に拒絶された。ラクスマン。
ラティモア【Owen Lattimore】
[1900〜1989]米国の東洋学者。第二次大戦前後に中国辺境地帯を踏査して内陸アジアを研究、大戦中は蒋介石の特別顧問となる。1945年には、対日賠償使節団の一員として訪日した。著「中国」「アジ...
レザノフ【Nikolay Petrovich Rezanov】
[1764〜1807]ロシアの実業家。1804年、遣日使節として漂流民津太夫らを伴って長崎に来航。貿易要求を拒否されたため、報復として、1806年および1807年に樺太(からふと)・択捉(えとろ...