出典:gooニュース
老中に再任した堀田正睦の対外認識、米国総領事ハリスの来日と江戸参府問題に下した英断とは?
安政2年(1855)10月9日、堀田正睦は首座として12年振りに老中に復帰した。堀田は、既に46歳になっていた。しかし、老中首座とは言うものの、阿部死去(安政4年(1857)6月18日)までの1年半は、阿部が幕政を主導していた。 なお、堀田の復帰の理由について、佐倉藩政での手腕が買われたことが大きかったが、阿部の都合にも起因している事実は見逃すことが出来ない。
真の開国の立役者、老中・堀田正睦の幕末史における重要性とは?藩政改革とその成果
その阿部老中からバトンを引き継ぎ、老中首座として日本の開国に道筋を付けたのが佐倉藩主・堀田正睦(まさよし)であった。堀田は阿部の政策を踏襲しながら、通商条約の締結に大きく舵を切り、その実現に奔走したのだ。 今回は5回にわたって堀田正睦にフォーカスし、その生涯を追いながら、堀田の決断がいかに日本の開国にとって必須であったのかを明らかにしたい。
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