いちかわ‐べいあん【市河米庵】
[1779〜1858]江戸後期の書家。江戸の人。名は三亥(みつい)。字(あざな)は孔陽、小春。寛斎の長子。中国、宋の米芾(べいふつ)の書を学び、米庵と号した。門弟に貴人が多く、その書風は大流行し...
いとう‐じゃくちゅう【伊藤若冲】
[1716〜1800]江戸中期の画家。京都の人。名は汝鈞(じょきん)、字(あざな)は景和。若冲のほか、斗米庵の号がある。初め狩野派・光琳派および中国の名画に学び、写実的描写と特異な形態・色彩感覚...
いとう‐たんあん【伊藤坦庵】
[1623〜1708]江戸前期の儒学者。京都の人。名は宗恕。初め医師となったが、のち、福井藩に儒官として仕えた。師の江村専斎の談話を集めた「老人雑話」の編者。著「坦庵遺稿」。
うちだ‐ろあん【内田魯庵】
[1868〜1929]文学者。東京の生まれ。本名、貢。別号、不知庵。「罪と罰」「復活」などのロシア文学を翻訳・紹介。社会小説も連作。小説「くれの廿八日」、短編小説集「社会百面相」、文壇回顧録「思...
うんこく‐とうがん【雲谷等顔】
[1547〜1618]桃山時代の画家。肥前の人。雲谷派の始祖。初め絵師として毛利氏に仕え、のち雪舟ゆかりの雲谷庵を継ぎ、雪舟の画風復興のために活躍。山水・人物を得意とした。作品では、京都大徳寺黄...
えいさい【栄西】
[1141〜1215]平安末・鎌倉初期の僧。備中(びっちゅう)の人。字(あざな)は明庵。日本臨済宗の祖。はじめ比叡山で天台密教を学んだ。二度宋(そう)に渡って禅を学び、帰国後、博多に聖福寺、京都...
えがわ‐たろうざえもん【江川太郎左衛門】
[1801〜1855]江戸後期の砲術家。伊豆韮山(にらやま)の代官。名は英竜(ひでたつ)。号、坦庵(たんあん)。高島秋帆(たかしましゅうはん)に砲術を学び、江戸で教授。門下に佐久間象山・木戸孝允...
おう‐かん【王鑑】
[1598〜1677]中国、清初の画家。字(あざな)は玄照・元照・円照。号は湘碧(しょうへき)・染香庵主。王世貞の孫。古画に学び、南宗画(なんしゅうが)系の山水画にすぐれた。四王呉惲(ごうん)の...
ぎおん‐なんかい【祇園南海】
[1677〜1751]江戸中期の漢詩人・文人画家。紀伊の人。名は瑜(ゆ)・正卿(せいけい)。字(あざな)は伯玉。木下順庵の門下。紀伊藩の儒官。中国、元・明の文人画風を学び、日本文人画の開拓者とさ...
そが‐だそく【曽我蛇足】
室町後期の画家。曽我派の始祖的な画家で京都の大徳寺真珠庵の襖絵(ふすまえ)を描いたと伝えられるが、経歴・生没年ともに未詳。そがじゃそく。