たいら‐の‐しげひら【平重衡】
[1157〜1185]平安末期の武将。清盛の子。源頼政を宇治川で破り、東大寺・興福寺を焼いた。のち、一ノ谷の戦いで敗れ、捕らえられて鎌倉へ送られたが、南都僧徒の要求により木津川で斬られた。
たいら‐の‐ただのり【平忠度】
[1144〜1184]平安末期の武将・歌人。忠盛の子。清盛の弟。薩摩守(さつまのかみ)。藤原俊成に師事して和歌をよくし、平氏西走の途中、京都に引き返して師に詠草1巻を託した話は有名。一ノ谷の戦い...
たいら‐の‐ときこ【平時子】
[?〜1185]平清盛の妻。重盛・宗盛・知盛・重衡・徳子の母。三后に准ぜられ、清盛没後、剃髪して二位の尼と称された。壇ノ浦の戦いで安徳天皇を抱いて入水。
たいら‐の‐ときただ【平時忠】
[1128〜1189]平安末期の公卿。時子・滋子の兄。検非違使(けびいし)別当・権大納言。平氏政権中の重要な地位を占めた。「平氏にあらざれば人にあらず」の言葉は有名。壇ノ浦の戦いの後捕らえられ、...
たいら‐の‐とももり【平知盛】
[1152〜1185]平安末期の武将。清盛の四男。権中納言。源頼政を宇治で、源行家を播磨(はりま)室山で破った。一ノ谷の戦いで奮戦し、のち、壇ノ浦の戦いで入水。謡曲・浄瑠璃などに脚色される。
たいら‐の‐のりつね【平教経】
[1160〜1185]平安末期の武将。教盛の子。能登守。勇猛で、源義仲の軍を水島に破り、屋島の戦いでは佐藤継信を射殺。壇ノ浦の戦いで源義経を取り逃がして入水。
たいら‐の‐のりもり【平教盛】
[1128〜1185]平安末期の武将。忠盛の子。清盛の弟。保元・平治の乱の功で正三位権中納言となった。清盛の邸の門のわきに居を構えて、門脇(かどわき)殿とよばれた。源行家を播磨(はりま)に破った...
たいら‐の‐むねもり【平宗盛】
[1147〜1185]平安末期の武将。清盛の三男。従一位内大臣。源義仲の軍に追われ、安徳天皇を奉じて京を離れた。のち、義経の軍に一ノ谷の戦いで敗れ、壇ノ浦の戦いで大敗。捕らえられて近江(おうみ)...
たかなが‐しんのう【尊良親王】
[1311〜1337]後醍醐天皇の第2皇子。名は「たかよし」とも。元弘の変で土佐に流された。足利尊氏(あしかがたかうじ)の離反には新田義貞とともに戦い、越前金ヶ崎城を守ったが、落城し、自害した。
たかはし‐でいしゅう【高橋泥舟】
[1835〜1903]江戸末期の幕臣。江戸の人。名は政晃。槍術家で講武所師範役。鳥羽伏見の戦い後、徳川慶喜(とくがわよしのぶ)に恭順説を説き、上野寛永寺で慶喜を護衛した。山岡鉄舟・勝海舟とともに...