あべ‐ただあき【阿部忠秋】
[1602〜1675]江戸初期の老中。武蔵国忍(おし)城主。松平信綱らとともに将軍徳川家光・家綱を補佐。
あべ‐の‐さだとう【安倍貞任】
[1019〜1062]平安中期の陸奥(むつ)の豪族。頼時の子。厨川次郎(くりやがわじろう)ともいう。前九年の役で源頼義・義家父子と戦い、敗死。
あべ‐の‐せいめい【安倍晴明】
[921〜1005]平安中期の陰陽家(おんようけ)。土御門(つちみかど)家の祖。彼の占いや予言をたたえた説話は今昔物語集・宇治拾遺物語などにみられる。著「占事略決」。
あべ‐の‐よりとき【安倍頼時】
[? 〜1057]平安中期の陸奥の豪族。子の貞任・宗任とともに、前九年の役で源頼義・義家父子と戦い、敗死。
あべ‐まさひろ【阿部正弘】
[1819〜1857]江戸末期の老中。備後(びんご)福山藩主。幕末開国のときの老中首座として和親条約を締結。
あまくさ‐しろう【天草四郎】
[1621〜1638]江戸初期のキリスト教信者。本名、益田時貞(ますだときさだ)。16歳で島原天草一揆の首領に推され、原城で90日間籠城(ろうじょう)の末、敗死。
あまこ‐はるひさ【尼子晴久】
[1514〜1562]戦国時代の武将。経久の孫。永禄元年(1558)毛利軍を破り、石見(いわみ)銀山を手に入れて尼子氏の全盛期を迎えた。出雲など8か国の守護。
あまの‐さだかげ【天野信景】
[1663〜1733]江戸中期の国学者。尾張藩士。随筆に「塩尻」がある。
あまのや‐りへえ【天野屋利兵衛】
[?〜1727]江戸中期の大坂商人。赤穂義士のために武具を準備して助け、追放になったといわれる。「仮名手本忠臣蔵」では天川屋義平。
あめのもり‐ほうしゅう【雨森芳洲】
[1668〜1755]江戸中期の儒学者。近江(おうみ)の人。名は俊良、字(あざな)は伯陽。朝鮮語・中国語をよくし、対馬(つしま)藩に仕えて文教・外交に活躍。著「橘窓文集」「たわれ草」など。