かねみつ【兼光】
鎌倉末期の刀工。備前長船(おさふね)の人。「左衛門尉」と銘した。生没年未詳。
かのう‐さんせつ【狩野山雪】
[1590〜1651]江戸前期の画家。肥前の人。名は光家。通称、平四郎。狩野山楽の門弟で、のち養子となる。理知的な構成の装飾画に独自の造形性を示した。
かのう‐さんらく【狩野山楽】
[1559〜1635]安土桃山時代から江戸初期にかけての画家。近江(おうみ)の人。名は光頼。豊臣秀吉に画才を認められ、狩野永徳に学んで、豊臣・徳川家関係の障壁画を数多く描いた。画風は桃山障壁画様...
かのう‐たんゆう【狩野探幽】
[1602〜1674]江戸初期の画家。鍛冶橋狩野派の祖。京都の人。名は守信。幼名、采女(うねめ)。孝信の長男。永徳の孫。江戸に出て幕府御用絵師となり、桃山時代の豪壮豪麗な様式に対して、瀟洒(しょ...
かのう‐つねのぶ【狩野常信】
[1636〜1713]江戸前期の画家。尚信(なおのぶ)の長男で、木挽町(こびきちょう)狩野家2代目。探幽没後の狩野派を代表。古画の模写にも努め、「常信縮図」は貴重な資料。
かみや‐そうたん【神谷宗湛】
[1553〜1635]安土桃山から江戸初期にかけての豪商。博多の人。豊臣秀吉の保護を受け、中国・朝鮮・南方諸国と交易。千利休と交わり、茶人としても有名。茶会記録に「宗湛日記」がある。紙屋宗旦。
かめい‐これのり【亀井玆矩】
[1557〜1612]安土桃山・江戸初期の武将。名は新十郎。主家の尼子氏滅亡後、織田信長・豊臣秀吉に仕え、因幡(いなば)国鹿野城主となる。関ヶ原の戦いでは徳川方に味方し、朱印船貿易に意を注いだ。
かめい‐しょうよう【亀井昭陽】
[1773〜1836]江戸後期の儒学者。筑前の人。名は昱(いく)。南冥の長男。父南冥の跡を継ぎ徂徠学を奉じ、のち徂徠学に朱子学を取り入れた経学を大成。著に「左伝纉考」「論語語由述志」「読弁道」など。
かも‐の‐まぶち【賀茂真淵】
[1697〜1769]江戸中期の国学者・歌人。遠江(とおとうみ)の人。岡部氏。号、県居(あがたい)。荷田春満(かだのあずままろ)に学び、国学四大人の一人といわれる。田安宗武に仕え、広く古典を研究...
かや‐しらお【加舎白雄】
[1738〜1791]江戸中期の俳人。信濃国上田の人。本名、吉春。別号は、昨烏・白尾坊など。諸国を遊歴し、江戸に春秋庵を開いた。著「面影集」「加佐里那止(かざりなし)」「俳諧寂栞(さびしおり)」など。