あわたぐち‐くにいえ【粟田口国家】
鎌倉初期の刀工。名は弥九郎。京都の粟田口に移り住み、地名を家名とした。後鳥羽院の御番鍛冶と伝えられている。生没年未詳。
あわたぐち‐くにつな【粟田口国綱】
[?〜1255ころ]鎌倉初期の粟田口派の代表的刀工。後鳥羽院の御番鍛冶を務め、左近将監(しょうげん)と称したという。北条時頼のために名刀鬼丸を作った。
あわたぐち‐くにより【粟田口国頼】
平安末期・鎌倉前期の刀工。大和の人。粟田口派の祖という。生没年未詳。
いちもんじ‐のりむね【一文字則宗】
平安末期から鎌倉前期にかけての刀工。備前福岡の人で、一文字派を興した。後鳥羽上皇の御番鍛冶として仕えたと伝えられる。菊一文字と称される。生没年未詳。
いっぺん【一遍】
[1239〜1289]鎌倉中期の僧。伊予の人。時宗(じしゅう)の開祖。法名は智真(ちしん)。延暦寺に入り、太宰府で法然の孫弟子聖達に浄土教を学ぶ。のち熊野に参籠(さんろう)、霊験により一遍と号し...
うえすぎ‐ぜんしゅう【上杉禅秀】
[?〜1417]室町前期の武将。関東管領。本名、氏憲(うじのり)。禅秀は法名。応永23年(1416)鎌倉公方(くぼう)足利持氏(あしかがもちうじ)にそむき、敗れて自殺(上杉禅秀の乱)。
うえすぎ‐のりざね【上杉憲実】
[1410〜1466]室町中期の武将。関東管領。将軍足利義教(あしかがよしのり)と鎌倉公方足利持氏の調停に努力したが、持氏と不和となった。永享の乱で持氏が死んだのち伊豆の国清寺で出家、諸国を行脚...
うつのみや‐よりつな【宇都宮頼綱】
[1172〜1259] 鎌倉前期の武将・歌人。妻は北条時政の娘。謀反の嫌疑を受けて出家し、蓮生(れんしょう)と号す。出家後は京都に住み藤原定家と親交、宇都宮歌壇の礎を築く。
うらべ‐かねかた【卜部懐賢】
鎌倉中期の神道家・古典学者。名は兼方とも。著「釈日本紀」など。生没年未詳。
えいぞん【叡尊/睿尊】
[1201〜1290]鎌倉中期の律宗の僧。大和の人。戒律の復興に努め、律宗の中興。貧民・病人の救済や殺生禁断に功績があり、また蒙古襲来で神風を祈願。西大寺を再興。著「感身学正記」など。興正菩薩(...