あしかが‐もちうじ【足利持氏】
[1398〜1439]室町前期の武将。鎌倉公方(くぼう)。永享10年(1438)関東管領上杉憲実(うえすぎのりざね)と対立。幕府軍と戦って敗れ、鎌倉で自刃。→永享の乱
くじょう‐よりつね【九条頼経】
[1218〜1256]鎌倉幕府第4代将軍。在職、1226〜1244。第1代摂家将軍。道家の子。源頼朝の遠縁にあたるため将軍に迎えられたが、北条氏の独裁下で形式上の将軍にすぎず、子頼嗣に将軍職を譲...
くない‐きょう【宮内卿】
[?〜1204ころ]鎌倉初期の歌人。源師光(みなもとのもろみつ)の娘。後鳥羽院の女房。「千五百番歌合」に参加した歌から若草の宮内卿とよばれ、歌は新古今集以下の勅撰集に40首余り入集。
こうあ【向阿】
[1265〜1345]鎌倉末期・南北朝時代の浄土宗の僧。甲斐の人。号は是心。諱(いみな)は証賢。鎮西義一条流の祖礼阿(らいあ)に師事。著「三部仮名鈔」。
こうごん‐てんのう【光厳天皇】
[1313〜1364]北朝第1代天皇。在位1331〜1333。後伏見天皇の第1皇子。名は量仁(かずひと)。鎌倉幕府の支持によって後醍醐天皇の皇太子に立ち、即位。建武の中興で退位後、院政を執った。...
たい‐しょっかん【大織冠】
《「だいしょっかん」とも》 大化の改新後定められた冠位制で最高の冠位。のちの正一位に相当する。実際には藤原鎌足が授けられただけである。 藤原鎌足の称。
もりくに‐しんのう【守邦親王】
[1301〜1333]鎌倉幕府第9代将軍。在職1308〜1333。第8代将軍久明親王の子。鎌倉幕府の滅亡とともに退任し、出家。
ゆうき‐むねひろ【結城宗広】
[?〜1338]鎌倉末・南北朝時代の武将。法号、道忠。新田義貞に応じて鎌倉を攻略。建武の中興後、北畠顕家とともに義良親王を奉じて奥州を鎮定。足利尊氏の挙兵後は畿内を転戦し、のち伊勢で病死。
りょうちゅう【良忠】
[1199〜1287]鎌倉中期の浄土宗の僧。石見(いわみ)の人。然阿と称す。天台・倶舎(くしゃ)・法相(ほっそう)・禅などの各宗、のち浄土教を学び、関東に広く布教して鎌倉に蓮華寺(光明寺)を創建...
れいぜい‐ためすけ【冷泉為相】
[1263〜1328]鎌倉後期の歌人。藤原為家の子。母は阿仏尼。冷泉家の祖。鎌倉連歌の発展に尽力。家集に「権中納言為相卿集(藤谷集)」がある。藤原為相。