出典:gooニュース
薩長融和における近藤長次郎の役割、なぜ長州藩藩主・毛利敬親は近藤の謁見を許したのか?
その場にも立ち会った直目付の柏村数馬は、「薩藩上杉宗次郎(近藤長次郎) 被召出、御両殿様拝謁被仰付、薩国論被聞召、御伝言之旨被仰含御自翰御託被遊候、宗次郎へ三所物被下候事」(『山口県史 史料編幕末維新』4)と日記(9月7日条)に記している。
近藤長次郎が薩長同盟を進めるに至るまでの長州藩の政治的動向、龍馬が設立した「亀山社中」は本当に存在したのか?
その社中のリーダー的存在である、近藤長次郎を再評価する必要性があるのだ。 亀山社中の実相とは 社中の実態とは、これまで言われてきたような、私設海軍や貿易結社にはほど遠く、薩摩藩、そして小松帯刀の下で活動していた。
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