・・・ ひろびろとした道路が、そこにも開けていた。「ここはこの間釣りに来たところと、また違うね」私は浜辺へ来たときあたりを見まわしながら言った。 沼地などの多い、土地の低い部分を埋めるために、その辺一帯の砂がところどころ刳り取られてあ・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・無論それが終局ではない、人類のあらん限り新局面は開けてやまぬものである。しかしながら一刹那でも人類の歴史がこの詩的高調、このエクスタシーの刹那に達するを得ば、長い長い旅の辛苦も償われて余あるではないか。その時節は必ず来る、着々として来つつあ・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・そして怖々に、障子を開けて塀越しに覗くと、そのまま息を凝らしてしまった。「何だ、どうした?」 それでも、お初は黙っている。 利平は、傷みを忘れて、赤ン坊を打っちゃったまま、お初の背後に立った。 と、其処は、本部の裏縁が見えて・・・ 徳永直 「眼」
・・・ 雑司ヶ谷、目黒、千駄ヶ谷あたりの開けたのは田園調布あたりよりもずっと時を早くしていた。そのころそのあたりに頻と新築せられる洋室付の貸家の庭に、垣よりも高くのびたコスモスが見事に花をさかせているのと、下町の女のあまり着ないメレンス染の着・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・その夜わたくしは、前々から諦めはつけていた事でもあり、随分悠然として自分の家と蔵書の焼け失せるのを見定めてから、なお夜の明け放れるまで近隣の人たちと共に話をしていたくらいで、眉も焦さず焼けど一ツせずに済んだ。言わば余裕頗る綽々としたそういう・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・戸を開けたのは茶店の女房であった。太十は女房を喚び挂けて盥を借りようとした。商売柄だけに田舎者には相応に機転の利く女房は自分が水を汲んで頻りに謝罪しながら、片々の足袋を脱がして家へ連れ込んだ。太十がお石に馴染んだのは此夜からであった。そうし・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・細君の答に「御申越の借家は二軒共不都合もなき様被存候えば私倫敦へ上り候迄双方共御明け置願度若し又それ迄に取極め候必要相生じ候節は御一存にて如何とも御取計らい被下度候とあった。カーライルは書物の上でこそ自分独りわかったような事をいうが、家をき・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・肩に括る緋の衣の、裾は開けて、白き裏が雪の如く光る。「罪あるを許さずと誓わば、君が傍に坐せる女をも許さじ」とモードレッドは臆する気色もなく、一指を挙げてギニヴィアの眉間を指す。ギニヴィアは屹と立ち上る。 茫然たるアーサーは雷火に打た・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・町には何の異常もなく、窓はがらんとして口を開けていた。往来には何事もなく、退屈の道路が白っちゃけてた。猫のようなものの姿は、どこにも影さえ見えなかった。そしてすっかり情態が一変していた。町には平凡な商家が並び、どこの田舎にも見かけるような、・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・「オイ、俺だ。開けて呉れ」私は扉へ口をつけて小さい声で囁いた。けれども扉は開かれなかった。今度は力一杯押して見たが、ビクともしなかった。「畜生! かけがねを入れやがった」私は唾を吐いて、そのまま階段を下りて門を出た。 私の足が一・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
出典:青空文庫