・・・飯本先生が一銭銅貨を一枚皆に見せていらっしゃいました。「これを何枚呑むとお腹の痛みがなおりますか」 とお聞きになりました。「一枚呑むとなおります」 とすぐ答えたのはあばれ坊主の栗原です。先生が頭を振られました。「二枚です・・・ 有島武郎 「僕の帽子のお話」
・・・吉や、七と、一銭こを遣ってもな、大事に気をつけてら。玩弄物だのな、飴だのな、いろんなものを買って来るんだ。」 女房は何となく、手拭の中に伏目になって、声の調子も沈みながら、「三ちゃんは、どうしてそんなだろうねえ。お前さんぐらいな年紀・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ 雲は低く灰汁を漲らして、蒼穹の奥、黒く流るる処、げに直顕せる飛行機の、一万里の荒海、八千里の曠野の五月闇を、一閃し、掠め去って、飛ぶに似て、似ぬものよ。ひょう、ひょう。 かあ、かあ。 北をさすを、北から吹・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・の墓へ手向ける、小菊の黄菊と白菊と、あれは侘しくて、こちこちと寂しいが、土地がら、今時はお定りの俗に称うる坊さん花、薊の軟いような樺紫の小鶏頭を、一束にして添えたのと、ちょっと色紙の二本たばねの線香、一銭蝋燭を添えて持った、片手を伸べて、「・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・そこから斜に濃い藍の一線を曳いて、青い空と一刷に同じ色を連ねたのは、いう迄もなく田野と市街と城下を巻いた海である。荒海ながら、日和の穏かさに、渚の浪は白菊の花を敷流す……この友禅をうちかけて、雪国の町は薄霧を透して青白い。その袖と思う一端に・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・二人は起ちさまに同じように帽子をほうりつけて、「おばあさん、一銭おくれ」「おばあさん、おれにも」 二人は肩をおばあさんにこすりつけてせがむのである。「さあ、おじさんが今日はお菓子を買ってやるから、二人で買ってきてくれ、お前ら・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・が、応挙や探幽の大作の全部を集めて捜しても決して発見されない椿岳独特の一線一画がある。椿岳には小さいながらも椿岳独自の領分があって、この領分は応挙や探幽のような巨匠がかつて一度も足を踏入れた事のない処女地であった。縦令この地域は狭隘であり磽・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・昨夜は夜通し歩いて、今朝町の入口で蒸芋を一銭がとこ求めて、それでとにかく朝は凌いだ。握飯でもいい、午は米粒にありつきたいのだが、蝦蟇口にはもう二銭銅貨一枚しか残っていない。 私はそこの海岸通りへ出た。海から細く入江になっていて、伝馬や艀・・・ 小栗風葉 「世間師」
その時、私には六十三銭しか持ち合せがなかったのです。 十銭白銅六つ一銭銅貨三つ。それだけを握って、大阪から東京まで線路伝いに歩いて行こうと思ったのでした。思えば正気の沙汰ではない。が、むこう見ずはもともと私にとっては生れつきの気性・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・が、そこは俺の寝床だ、借りたけりゃ一晩五円払えと、土蜘蛛のようなカサカサに乾いた手を出した。が、一銭もない。諦めて元のコンクリートの上へ戻ったが、骨が千切れそうに寒くて、おまけにペコペコだ。思い切って靴を脱ぎ、片手にぶら下げて、地下道の旅行・・・ 織田作之助 「世相」
出典:青空文庫