・・・すなわち木はおもに楢の類いで冬はことごとく落葉し、春は滴るばかりの新緑萌え出ずるその変化が秩父嶺以東十数里の野いっせいに行なわれて、春夏秋冬を通じ霞に雨に月に風に霧に時雨に雪に、緑蔭に紅葉に、さまざまの光景を呈するその妙はちょっと西国地方ま・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・アララギ派の元素伊藤左千夫氏は正岡子規の弟子のうち一番鈍才であったが、刻苦のために一番偉くなった。一、よく考えて生きること。良い芸術は良い生活からしか生まれない。こんなことはいうまでもないことと思う。浅い生活をしていて良・・・ 倉田百三 「芸術上の心得」
・・・ 広瀬、大麻生、明戸などいえる村々が稲田桑圃の間を過ぎて行くうち、日はやや傾きて雨持つ雲のむずかしげに片曇りせる天のさま、そぞろに人をして暑さを厭う暇もなく心忙しく進ましむ。明戸を出はずるる頃、小さき松山の行く手にありて、それにかかれる・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・伝説に依ると、水内郡荻原に、伊藤豊前守忠縄というものがあって、後堀河天皇の天福元年(四条天皇の元年で、北条泰時にこの山へ上って穀食を絶ち、何の神か不明だがその神意を受けて祈願を凝らしたとある。穀食を絶っても食える土があったから辛防出来たろう・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・すると、急に眼をみはって、マジ/\としながら、「んじゃ、お前さんが伊藤のお母さんかね。」と、荒ッぽい浜言葉で云って、「んか、んか」と独りうなずきをした。それはまるで人を見下げた、傲慢な調子だった。そして帰りに一緒になることにしていたのに、そ・・・ 小林多喜二 「母たち」
・・・たそうで、また日本でも古くは佐々木忠次郎とかいう人、石川博士など実地に深山を歩きまわって調べてみて、その結果、岐阜の奥の郡上郡に八幡というところがありまして、その八幡が、まあ、東の境になっていて、その以東には山椒魚は見当らぬ、そうして、その・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・ 午後の図画の時間には、皆、校庭に出て、写生のお稽古。伊藤先生は、どうして私を、いつも無意味に困らせるのだろう。きょうも私に、先生ご自身の絵のモデルになるよう言いつけた。私のけさ持参した古い雨傘が、クラスの大歓迎を受けて、皆さん騒ぎたて・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・また、伊藤たちの恋愛が、どんな具合いに進展しているのか、それも、ちっとも知りたくない。うん、この焼酎はなかなかいい。君、君、もう一ぱいくれ。それから、水をくれ。おうい、おかみさん、ここへも何か食べるものをくれ。しかし、少くとも僕は、他人の夫・・・ 太宰治 「女類」
・・・この落ちつきがなければ、男子はどんな仕事もやり了せる事が出来ない。伊藤博文だって、ただの才子じゃないのですよ。いくたびも剣の下をくぐって来ている。智慧のかたまりのように言われている勝海舟だって同じ事です。武術に練達していなければ、絶対に胆が・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・十六、死は敢えて厭うところのものに非ず。生き残った妻子は、ふびんなれども致し方なし。然れども今は、戦死の他の死はゆるされぬ。故に怺えて生きて居るなり。この命、今はなんとかしてお国の役に立ちたし。この一箇条、敢えて剣聖にゆずらじと思うもの・・・ 太宰治 「花吹雪」
出典:青空文庫