・・・そうそう、そのとき僕は北海道の大学の伊藤さんにも会った。あの人も気象をやってるから僕は知っている。 それから僕は少し南へまっすぐに朝鮮へかかったよ。あの途中のさびしかったことね、僕はたった一人になっていたもんだから、雲は大へんきれいだっ・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・アツレキ三十一年二月七日、表、日本岩手県上閉伊郡青笹村字瀬戸二十一番戸伊藤万太の宅、八畳座敷中に故なくして擅に出現して万太の長男千太、八歳を気絶せしめたる件。」「よろしい。わかった。」とネネムの裁判長が云いました。「姓名年齢、その通・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・東大でも、伊藤ハンニまがいの山師がでているし、きわめてエクセントリックな性格と生活態度の女子学生が大阪の実家で弟に殺されたという事件があったし、法科の学生が教室でエロティックな映画を公開したというおどろくべきこともありました。女子の学校など・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・けれども、この年の秋の関東地方の大震災につづく大杉栄、伊藤野枝、その甥である男の子供の虐殺。各地における朝鮮、中国労働者の虐殺。亀戸事件などは、人種的偏見と軍人・右翼の暴力に対する心からの憎悪をめざまさした。一九一八年ごろ日本におけるアイヌ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・そこに伊藤のおじさん、おばさんが暮していた。次の三畳が一太の家であった。雨が降ると、だから一太はその三畳に母親とおとなしくしていなければならぬ都合であった。三畳は、大人の女一人が仕事でもして坐っているにはよいが、一太の往来を駈けずり廻る手脚・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・ 貴方が設計図のやり直しを厭うからと云って、私は労働婦人たちに必要なものを許すことは止めません。もう托児所のことには署名がすんでいるのです。」 この技師とトラストへ出かけようとするインガを、ドミトリーが傍の思わくもかまわず止めた。「・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・ ○彼等の運命の裡に於て、長与氏は、性慾を極端にまで厭うべき文字で呼んで居る。「結婚した許りの夜と同じく獣の真似をして居た。」或は「獣的遊戯」と呼んで居る。然し、性慾は、或は夫婦間の交接と云う事は、左様云うような不正な、根本・・・ 宮本百合子 「黄銅時代の為」
・・・ 絶えず心眼にうとましい敵の姿をうかべて、影の多い心になるのを厭うたからではないか。 キリストは自己のために万人を救うたのだと云うたワイルドの言を正しいと思う。 彼の最も清浄な、涙組むまで美くしい心のあふれ出た「獄中記」の中で、・・・ 宮本百合子 「大いなるもの」
・・・の活動の旺であった時代、伊藤野枝があなたのとなりに住んでいた時代、近くは急速な思想的動揺、歴史の転廻の時代、あなたはいつも其等の新興力に接触を保ち、作家として其等に無反応であるまいとする敏感性を示されましたが、しかし、それは常にあなたとして・・・ 宮本百合子 「含蓄ある歳月」
あるがままの姿は決して心理でもなければ諷刺でもない 伊藤整氏の近著『街と村』という小説集は、おなじ街や村と云っても、作者にとってはただの街や村の姿ではなく、それぞれに幽鬼の街、幽鬼の村である。これまでの自身の中・・・ 宮本百合子 「観念性と抒情性」
出典:青空文庫