・・・それを厭うこころもちは、すべての思慮ある人の心のうちに、強く存在しているけれども、その厭わしさを、とりあげてよくよく調べてみれば、日本人の精神の本質がそういうものであるというよりは、近代の国際資本の競争におくれて立ちまじった日本の資本主義支・・・ 宮本百合子 「現代の主題」
・・・ その討論の時期に、伊藤整も東京新聞の文芸欄で発言した。肉体小説、中間文学に対する彼のもの言いは、非常に機智的であった。否定するかとみれば、一部の肯定もあり、さりながら単純な肯定一本で貫かれているという見解でもなかった。伊藤整を、そのよ・・・ 宮本百合子 「現代文学の広場」
・・・と云う厭うべき遁辞の裡に美化しようとするのみならず、小溝も飛べない弱さを、優美とし「珍重」する男性は、その遁辞を我からあおって、自分等の優越を誇って居ります。 此等に気焔を上げてしまいましたが、とにかく、此の積極的という事は、万事に就て・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ 自分は甘い落付きを厭う。それを厭う自分である事を自覚することによって第二の甘さに堕そうとする。恐ろしいことではないか、自分の此から書こうとする黄銅時代は、更に甦り、強められた自責の念と、謙譲な虚心とによって書かれなければならないのだ。・・・ 宮本百合子 「日記・書簡」
・・・職業婦人の感情には、集団としてそのしきたりに反撥する感情の潜んでいることは自然であり、男の同僚たちも、男尊の一般的傾向にしばられ女に親切な男として仲間からある笑いをもって見られることを厭う。馘首の心配に到る前に、これらの重複した原因から、男・・・ 宮本百合子 「若き世代への恋愛論」
・・・ 殉死を願って許された十八人は寺本八左衛門直次、大塚喜兵衛種次、内藤長十郎元続、太田小十郎正信、原田十次郎之直、宗像加兵衛景定、同吉太夫景好、橋谷市蔵重次、井原十三郎吉正、田中意徳、本庄喜助重正、伊藤太左衛門方高、右田因幡統安、野田喜兵・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・中江藤樹、熊沢蕃山、山鹿素行、伊藤仁斎、やや遅れて新井白石、荻生徂徠などの示しているところを見れば、それはむしろ非常に優秀である。これらの学者がもし広い眼界の中で自由にのびのびとした教養を受けることができたのであったら、十七世紀の日本の思想・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・若王子神社の伊藤快彦氏の話では、ここには十何種類かの楓が集めてあるということであった。その楓の新芽が、日々に少しずつ色を変えて葉をのばして行き、やがてほぼ同じ色調の薄緑の葉を展開し終わるのは、大体四月の末五月の初めであったが、その時の美しさ・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
・・・安倍君と同じ組には魚住影雄、小山鞆絵、宮本和吉、伊藤吉之助、宇井伯寿、高橋穣、市河三喜、亀井高孝などの諸君がいたが、安倍君のほかには漱石に近づいた人はなく、そのあと、私の前後の三、四年の間の知友たちの間にも、一人もなかった。木曜会で初めて近・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
・・・それは東京大学の工学部の赤煉瓦の建物があったころで、もう四十年ぐらい前になるかと思うが、木下杢太郎君にさそわれて、佐野利器博士を研究室に訪ね、伊藤忠太博士が撮影して来られた雲岡石窟の写真を見せてもらったのである。当時佐野博士はまだ若々しい颯・・・ 和辻哲郎 「麦積山塑像の示唆するもの」
出典:青空文庫