・・・ 『八犬伝』を読むの詩 補 姥雪与四郎・音音乱山何れの処か残燐を吊す 乞ふ死是れ生真なりがたし 薄命紅顔の双寡婦 奇縁白髪の両新人 洞房の華燭前夢を温め 仙窟の煙霞老身を寄す 錬汞服沙一日に非ず 古木・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・ぼうっとなって歩いているうちに、やがてアセチリン瓦斯の匂いと青い灯が如露の水に濡れた緑をいきいきと甦らしている植木屋の前まで来ると、もうそこからは夜店の外れでしょう、底が抜けたように薄暗く、演歌師の奏でるバイオリンの響きは、夜店の果てまで来・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 私はカルモチンをたくさん嚥下したが、死ななかった。「死ぬには、及ばない。君は、同志だ。」と或る学友は、私を「見込みのある男」としてあちこちに引っぱり廻した。 私は金を出す役目になった。東京の大学へ来てからも、私は金を出し、そう・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・三日分くらいの食料を持参して来たのだが、何せ夏の暑いさいちゅうなので、にぎりめしが皆くさりかけて、めし粒が納豆のように糸をひいて、口にいれてもにちゃにちゃしてとても嚥下することが出来ぬ。小牛田駅で夜を明し、お米は一升くらい持っていたので、そ・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・などと少しずつ自分の日々の暮しにプライドを持ちはじめて、その頃ちょうど円貨の切り換えがあり、こんな片田舎の三等郵便局でも、いやいや、小さい郵便局ほど人手不足でかえって、てんてこ舞いのいそがしさだったようで、あの頃は私たちは毎日早朝から預金の・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・ 私はそれを嚥下して首肯し、この医師は以前どんな鰻を食べたのだろうといぶかった。「台所の科学ですよ。料理も一種の科学ですからね。こんな物資不足の折には、細君の発明力は、国家の運命を左右すると、いや冗談でなく、僕は信じているのです。そ・・・ 太宰治 「やんぬる哉」
・・・ップの缶を取りだし、実にどうにも気障な手つきで、――つまり、人さし指と親指と二本だけ使い、あとの三本の指は、ぴんと上に反らせたままの、あの、くすぐったい手つきでチョコレートをつまみ、口に入れるより早く嚥下し、間髪をいれずドロップを口中に投げ・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・ 彼が一種の煙霞癖をもっている事は少年時代のイタリア旅行から芽を出しているように見える。しかし彼の旅行は単に月並な名所や景色だけを追うて、汽車の中では居眠りする亜類のではなくて、何の目的もなく野に山に海浜に彷徨するのが好きだという事であ・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ことに空気を局部的に熱したときに起る対流渦動の実験にはいつもこれを使っていたが、後には線香の煙や、塩酸とアンモニアの蒸気を化合させて作る塩化アンモニアの煙や、また近頃は塩化チタンの蒸気に水蒸気を作用させて出来る水酸化チタンの煙を使ったりして・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
・・・それでも結局はどうにかして嚥下してしまった。 この数日の間にあひるの生活にはずいぶん大きな変化があったが、しかしその変化が結局あひるのために有利であるかどうかはわからない。われわれ人間はただ自分たちの享楽と満足のために、かわいがるつもり・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
出典:青空文庫