・・・ちょっと断わっておくが、僕はある脚本――それによって僕の進退を決する――を書くため、材料の整理をしに来ているので、少くとも女優の独りぐらいは、これを演ずる段になれば、必要だと思っていた時だ。「お前が踊りを好きなら、役者になったらどうだ?・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・の露骨なスタンドプレイを演ずる事なく、堂々と、それこそ誠意おもてにあらわれる態の詫び方をしたに違いないが、しかし、それにしても、之等の美談は、私のモラルと反撥する。私は、そこに忍耐心というものは感ぜられない。忍耐とは、そんな一時的な、ドラマ・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・所詮理想主義者は、その実行に当ってとかく不器用なもののようであるが、黄村先生のように何事も志と違って、具合いが悪く、へまな失敗ばかり演ずるお方も少い。案ずるに先生はこのたびの茶会に於いて、かの千利休の遺訓と称せられる「茶の湯とはただ湯をわか・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・もし己が年が若くって、娘が今少し別嬪で、それでこういう幕を演ずると、おもしろい小説ができるんだなどと、とりとめもないことを種々に考える。聯想は聯想を生んで、その身のいたずらに青年時代を浪費してしまったことや、恋人で娶った細君の老いてしまった・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・そうしてそれがそれほど誇張されない身ぶりの運動のモンタージュによって、あらゆる悲痛の腹芸を演ずるからおもしろいのである。 松王丸の妻もよくできていた。源蔵の妻よりもどこか品格がよくて、そうして実にまた、いかなる役者の女形がほんとうの女よ・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・もっとも同じくヤニングスのものであっても相手役にディートリヒとかアンナ・ステンとかがいる場合は必ずしもそうはならないようであるが、この現在の場合における助演者はこのように主演者と対立して二重奏を演ずるためにはあまりに影が薄いようである。・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・田舎芝居で毎日変わった物を演ずるので、下読みが忙しいそうです。ある日、いつも外出する時間に出ないで室にいましたら、隣の食堂で下読みが始まってちょっと驚きました。あとで聞いたらレッシングの「ミンナ・フォン・バルンヘルム」とかであったそうです。・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・として存在の意義を認められていたのが、三毛も玉も年を取って、もうそう活発な遊戯を演ずる事がなくなってからは、彼は全く用のない冗員として取り扱われていた。もちろんそれに不平らしい顔もなく、空々寂々として天命を楽しんでいるかのようにも思われた。・・・ 寺田寅彦 「備忘録」
・・・わたくしは曾て米国に在った時米国の俳優の演ずるモリエールの戯曲を聴くことを好まなかった。それと同じ理由から、わたくしは日本語に翻訳せられた西洋の戯曲と、殊に歌謡の演出に対して感興を催すことの甚困難であることを悲しむものである。 帝国劇場・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
・・・こんな中腰の態度で、芝居を見物する原因は複雑のようですが、その五割乃至七割は舞台で演ずる劇そのものに帰着するのかも知れません。あの劇がね、私の巣の中の世界とはまるで別物で、しかもあまり上等でないからだろうと思うんです。こう云うと、役者や見物・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
出典:青空文庫