・・・処か残燐を吊す 乞ふ死是れ生真なりがたし 薄命紅顔の双寡婦 奇縁白髪の両新人 洞房の華燭前夢を温め 仙窟の煙霞老身を寄す 錬汞服沙一日に非ず 古木再び春に逢ふ無かる可けん 河鯉権守夫れ遠謀禍殃を招くを奈ん 牆辺耳あり防を欠く・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・そんな深慮遠謀もあり、私は、ことさらに猫なで声でどろぼうを招じ入れ、そうして、かれがはいるなり、電燈をぱちんと消してしまった。他日、このどろぼうが、何か罪悪を重ねて、そのとき捕えられ、私の家を襲撃したことをも白状して、警察は、その白状にもと・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・そして伊吹の見える特別な日が、事によると北西風の吹かないわりにあたたかく穏やかな日にでも相当するので、そういう日に久々で戸外にでも出て伊吹山を遠望し、きょうは伊吹が見える、と思うのではないかとまで想像される。そうするとまたこの「冬ごもり」の・・・ 寺田寅彦 「伊吹山の句について」
・・・の怪奇な姿をこわごわ観察している偏屈な老学究の滑稽なる風貌が、さくら音頭の銀座から遠望した本職のジャーナリストの目にいかに映じるかは賢明なる読者の想像に任せるほかはないのである。 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・ しかし上に考えた鎖はおそらく一点には集中しないであろう、それがどう食い違うか、そこに最も興味ある将来の問題の神秘の殿堂の扉が遠望される。この殿堂への一つの細道、その扉を開くべき一つの鍵の、おぼろげな、しかも拙な言葉で表現された暗示とし・・・ 寺田寅彦 「比較言語学における統計的研究法の可能性について」
・・・上海の市中には登るべき岡阜もなく、また遠望すべき山影もない。郊外の龍華寺に往きその塔に登って、ここに始めて雲烟渺々たる間に低く一連の山脈を望むことができるのだと、車の中で父が語られた。 昭和の日本人は秋晴れの日、山に遊ぶことを言うにハイ・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・あるいはこれを捨てて用いざらんか、怨望満野、建白の門は市の如く、新聞紙の面は裏店の井戸端の如く、その煩わしきや衝くが如く、その面倒なるや刺すが如く、あたかも無数の小姑が一人の家嫂を窘るに異ならず。いかなる政府も、これに堪ゆること能わざるにい・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・勿論彼女は驚く、疑う、解決を得ようとするだろう、大切な事は、この時彼女が終始自分を失わず、行くべき方向を遠望して、自らの決定と自らの意志でそれを体験して行く丈の力が有るかどうかと云う事なのである。 この様な時大抵の場合には、何時か知らな・・・ 宮本百合子 「概念と心其もの」
・・・佇んでこれ等の遠望を恣にして居るうちに、私は不図、海路平安とだけ刻まれた四字の間から、海上はるかに思をやった明末の帰化人の無言の郷愁を犇と我心にも感じたように思った。 第四日 運のわるいこと。今日は雲の切れめこ・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・橋上に立つと、薄い夕靄に柔められた光線の中に、両岸の緑と、次から次へ遠望される石橋の異国的な景色は、なかなか美しかった。 崇福寺は、黄檗宗の由緒ある寺だが、荒廃し、入口の処、白い築地の崩れた間を通って行くようになっている。龍宮造りの山門・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
出典:青空文庫