・・・ 長い欧州航路 監獄に廻わってから、何が一番気持ちがよかったかときかれたら、俺は六十日目に始めてシャボンを使ってお湯に入ったことだと云おう。 湯槽は小じんまりとしたコンクリートで出来ていて、お湯につかっていながら・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・彼処から奥州の方へ旅をして、帰って来て、『松島に於て芭蕉翁を読む』という文章を発表したが、その旅から帰る頃から、自分でも身体に異状の起って来た事を知ったと見えて、「何でも一つ身体を丈夫にしなくちゃならない」というので、国府津の前川村の方へ引・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・どうも東北人は、こんな時、猿も筆のあやまりなんて、おどけた軽い応酬が出来なくて困るよ。 事実、どうにも目ざわりだったのだ。ツネちゃんは僕たちが射撃をはじめると、たいてい標的のあたりにうろうろしていて、弾を拾ったり、標的の位置を直したりす・・・ 太宰治 「雀」
・・・私の故郷は、奥州の山の中である。家に何か祝いごとがあると、父は、十里はなれたAという小都会から、四、五人の芸者を呼ぶ。芸者たちは、それぞれ馬の背に乗ってやって来る。他に、交通機関が無いからである。時々、芸者が落馬することもあった。物語は私が・・・ 太宰治 「デカダン抗議」
・・・門豪戸競うて之を玩味し給うとは雖も、その趣旨たるや、みだりに重宝珍器を羅列して豪奢を誇るの顰に傚わず、閑雅の草庵に席を設けて巧みに新古精粗の器物を交置し、淳朴を旨とし清潔を貴び能く礼譲の道を修め、主客応酬の式頗る簡易にしてしかもなお雅致を存・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・佐野君にしては上乗の応酬である。「水が濁ったのかしら。」令嬢は笑わずに、低く呟いた。 じいさんは、幽かに笑って、歩いている。「どうして旗を持っているのです。」佐野君は話題の転換をこころみた。「出征したのよ。」「誰が?」・・・ 太宰治 「令嬢アユ」
・・・そういう場合のあることは昔からも知られていたであろうが、それが欧州大戦以後、特に外科医の方で注意され問題にされ研究されて、今日では一つの新療法として、特殊な外科的結核症や真珠工病などというものの治療に使う人が出てきた。こうなると今度は、それ・・・ 寺田寅彦 「蛆の効用」
・・・それから、こういうロシア映画でいつもおもしろいと思うのは出場人物のタイプの豊富さであるが、これは他の欧州諸国では得られない天然の制約によるものであろう。 この監督の新しい理論に基づいて構成されたと称するこの映画は、たしかにおもしろいとこ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 欧州のどこかの寄席で或るイタリア人の手先で作り出す影法師を見たことがある。頭の上で両手を交差して、一点の弧光から発する光でスクリーンに影を映すだけのことであるが、それは実に驚くべき入神の技であった。小猿が二匹向かい合って蚤をとり合った・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・といったような考えや、そういう二つの考え方の間に行なわれる討議応酬は、自分のような流儀の考え方から見ればおよそ無意味なこととしか思われないのである。真実な現象の記録とその分析的研究と系統化が行なわれて、ほんとうの「学」が進歩すれば、政治でも・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
出典:青空文庫