・・・観念の眼を閉じて、安らかに大往生を遂げたとは思えない。思いたくない。あの面魂だ。剥いでも剥いでも、たやすく芯を見せない玉葱のような強靱さを持っていた人だ。ころっと死んだのだ。嘘のように死んだのだ。武田さんはよくデマを飛ばして喜んでいた。南方・・・ 織田作之助 「武田麟太郎追悼」
・・・死んだ後にだって何一つ面倒なことって残してないし、じつに簡単明瞭な往生じゃないか。僕なんかにはちょっと真似ができそうにないね。考えてみるとおやじ一代の苦労なんてたいへんなものだったろうよ。ただこれで、第一公式なんていうことなしに、ポカポカと・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・『おいらは毎晩逆上せる薬を四合瓶へ一本ずつ升屋から買って飲むが一向鉄道往生をやらかす気にならねエハハハハ』『薬が足りないのだろうよ、今夜あたりお神さんにそう言って二合も増やしておもらいな。』『違えねえ、懐が寒くならアヒヒヒヒ』と・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・ そこで井伏さんも往生して、何とかという、名前は忘れたが、或る小さいカフェに入った。どやどやと、つきものも入って来たのは勿論である。 失礼ながら、井伏さんは、いまでもそうにちがいないが、当時はなおさら懐中貧困であった。私も、もちろん・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・次第に財産も殖え、体重も以前の倍ちかくなって、町内の人たちの尊敬も集り、知事、政治家、将軍とも互角の交際をして、六十八歳で大往生いたしました。その葬儀の華やかさは、五年のちまで町内の人たちの語り草になりました。再び、妻はめとらなかったのであ・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・しずかな往生ができそうである。けれども、わが身が円タク拾って荻窪の自宅へ易々とかえれるような状態に在るうちは、心もにぶって、なかなか死ねまい。とにかく東京から一歩でも、半歩でもなんでも外へ出る。何卒して、今夜のうちに、とりかえしのつかないと・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・行進 田島は敵の意外の鋭鋒にたじろぎながらも、「そうさ、全くなってやしないから、君にこうして頼むんだ。往生しているんだよ。」「何もそんな、めんどうな事をしなくても、いやになったら、ふっとそれっきりあわなけれあいいじ・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・買い物を、背負ったままで、のそのそ王城にはいって行った。たちまち彼は、巡邏の警吏に捕縛された。調べられて、メロスの懐中からは短剣が出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。メロスは、王の前に引き出された。「この短刀で何をするつもりであっ・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・ 蛮人の王城らしい建物が映写される。この建物はきわめて原始的であるが一種の均整の美をもっている。素人目にはわが大学の安田講堂よりもかえって格好がいいように思われる。デテイルがないだけに全体の輪郭だけに意匠が集注されるためかもしれない。・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・いくら泳ぎが巧くたって大の男に死物狂いで掴まられた日にゃ往生だからね。尤も水のなかの仕事だから、能くは解らねえ。よくは解らねえが、まあそうだろうと云う皆さんの鑑定だ。 忰の体は、その時錨にかかって挙ったにゃ揚ったが、もう駄目だった。秋山・・・ 徳田秋声 「躯」
出典:青空文庫