・・・ 芸術は上辺の思量から底に潜む衝動に這入って行く。絵画で移り行きのない色を塗ったり、音楽が chromatique の方嚮に変化を求めるように、文芸は印象を文章で現そうとする。衝動生活に這入って行くのが当り前である。衝動生活に這入って行・・・ 森鴎外 「沈黙の塔」
・・・それは皆怪訝するとともに喜んだ人たちであるが、近所の若い男たちは怪訝するとともに嫉んだ。そして口々に「岡の小町が猿のところへ往く」と噂した。そのうち噂は清武一郷に伝播して、誰一人怪訝せぬものはなかった。これは喜びや嫉みの交じらぬただの怪訝で・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・それを分析したら、怪訝が五分に厭嫌が五分であろう。秋水のかたり物に拍手した私は女の理解する人間であったのに、猪口の手を引いた私は、忽ち女の理解すること能わざる人間となったのである。 私ははっと思って、一旦引いた手を又出した。そして注がれ・・・ 森鴎外 「余興」
・・・周文は応永ごろの人であるが、彼の墨絵はこの時代の絵画の様式を決定したと言ってもよいであろう。そうしてこの墨絵もまた、日本文化の一つの代表的な産物として、世界に提供し得られるものである。もっとも、絵画の点では、雪舟が応仁のころにもうシナから帰・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・彼女の父アレサンドロは役者としては大して成功しなかったが、絵画に対しては猛烈な愛情を持っていた。 エレオノラの初舞台は一八六一二年、彼女が四歳の時であった。十四になった誕生日には初めてジュリアをつとめたが、そのころは見すぼらしい、弱々し・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
出典:青空文庫