・・・胸から下の肢体は感触を失ったかと思うほどこわばって、その存在を思う事にすら、消え入るばかりの羞恥を覚えた。毛の根は汗ばんだ。その美しい暗緑の瞳は、涙よりももっと輝く分泌物の中に浮き漂った。軽く開いた唇は熱い息気のためにかさかさに乾いた。油汗・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・然るにこの病気はいずれも食戒が厳しく、間食は絶対に禁じられたが、今ならカルケットやウェーファーに比すべき軽焼だけが無害として許された。殊に軽焼という名が病を軽く済ますという縁喜から喜ばれて、何時からとなく疱瘡痲疹の病人の間食や見舞物は軽焼に・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 蝸牛を掌にのせ、腕を這わせ、肩から胸へ、じめじめとした感触を愉しんだ。 また、銭湯で水を浴びるのを好んだ。湯気のふきでている裸にざあッと水が降りかかって、ピチピチと弾みきった肢態が妖しく顫えながら、すくッと立った。官能がうずくのだ・・・ 織田作之助 「雨」
・・・びっくりするような柔かい感触だった。 女の身体が車内へはいったのと、汽車が動きだしたのと同時だった。「どうもありがとうございました」「いや、しかし、勇敢ですな」「でも、窓からでないと……。プラットホームで五時間も立ち往生して・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・円い感触にどきんとして、驚いて汗ばんだ手を引き込めようとしたが、マダムは離さずぎゅっと押えていたが、何思ったか急に、「ああ辛気臭ア」と私の人さし指をキリキリと噛みはじめた。痛いッと引抜いて、「見ろ、血がにじんでるぞ。こらッ、歯型も入・・・ 織田作之助 「世相」
・・・午後四時の間食には果物、時には駿河屋の夜の梅だとか、風月堂の栗饅頭だとかの注文をします。夕食は朝が遅いから自然とおくれて午後十一時頃になる。此時はオートミルやうどんのスープ煮に黄卵を混ぜたりします。うどんは一寸位に切って居りました。 食・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・ 石井翁は一年前に、ある官職をやめて恩給三百円をもらう身分になった。月に割って二十五円、一家は妻に二十になるお菊と十八になるお新の二人娘で都合四人ぐらし、銀行に預けた貯金とても高が知れてるから、まず食って行けないというのが世間並みである・・・ 国木田独歩 「二老人」
・・・なつかしい、温い、幾分動物的な感触のまじっている母の愛! 岩波書店主茂雄君のお母さんは信濃の田舎で田畑を耕し岩波君の学資を仕送りした。たまに上京したとき岩波君がせめて東京見物させようと思っても、用事がすむとさっさと帰郷してしまった。息子・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・顛覆した列車の窓からとび出た時の、石のような雪の感触や、パルチザンの小銃とこんがらがった、メリケン兵のピストルの轟然たる音響が、まだ彼の鼓膜にひゞいていた。 腕はしびれて重かった。それは、始め火をつけたようにくゎッ/\と燃え立っていたが・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・今は子供の着るものですら、黄とか紅とか言わないで、多く間色を用いるように成った。それだけ進歩して来たんだろうね」「しかし、相川君、内部も同じように進んでいるんだろうか」「無論さ」「そうかなあ――」「原君、原君、まだまだ吾儕の・・・ 島崎藤村 「並木」
出典:青空文庫