・・・その人は立派な物理学の機械に優って、立派な天文台に優って、あるいは立派な学者に優って、価値のある魂を持っておったメリー・ライオンという女でありました。その生涯をことごとく述べることは今ここではできませぬが、この女史が自分の女生徒に遺言した言・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・「あなたの御関係なすっておいでになる男の事を、ある偶然の機会で承知しました。その手続きはどうでも好い事だから、申しません。わたくしはその男の妻だと、只今まで思っていた女です。わたくしはあなたの人柄を推察して、こう思います。あなたは決して自分・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・そして、こんないい音のする器械は、だれが発明して、どこの国から、はじめてきたのだろうかと考えました。 ある日、露子は、先生に向かって、オルガンはどこの国からきたのでしょうか、と問いました。すると先生は、そのはじめは、外国からきたのだとい・・・ 小川未明 「赤い船」
・・・ 少年は、その店から出て、往来に立ちましたときに、また、今夜も、あの坂の下に待っていて、もし、あの車がきたときに、後を押してやろうかなどと考えましたが、なんでも、いい機会というものは、二度あるものでない。お開帳の日だって、つぎの日には、・・・ 小川未明 「石をのせた車」
書かれている事件が人を驚かすのでない。そのことは、ちょうど私達が活動写真を見るようなものであります。奇怪な事件が重なり合っているような場合であっても見ている時は成程、其れによって、いろ/\なことを想像したりまた感興を惹かれたりしても、・・・ 小川未明 「芸術は生動す」
・・・時に、重々として、厚さを加え、やがては、奇怪な山嶽のように雄偉な姿を大空に擡げて、下界を俯瞰する。しからざれば陰惨な光景を呈して灰白色となり、暗黒色となり、雷鳴を起し、電光を発し、風を呼び、雨をみなぎらせるのであるが、そのはじめに於て、千変・・・ 小川未明 「常に自然は語る」
・・・ すると、もう私は断り切れず、雨戸のことで諒解を求める良い機会でもあると思い、立って襖をあけた。 その拍子に、粗末な鏡台が眼にはいった。背中を向けて化粧している女の顔がうつっていた。案の定脱衣場で見た顔だった。白粉の下に生気のない皮・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ その歯科医院は古びたしもた家で、二階に治療機械を備えつけてあるのだが、いかにも煤ぼけて、天井がむやみに低く、機械の先が天井にすれすれになっていて、恐らく医者はこごみながら、しばしば頭を打っつけながら治療するのではないかと思われる。看板・・・ 織田作之助 「大阪発見」
坂田三吉が死んだ。今年の七月、享年七十七歳であった。大阪には異色ある人物は多いが、もはや坂田三吉のような風変りな人物は出ないであろう。奇行、珍癖の横紙破りが多い将棋界でも、坂田は最後の人ではあるまいか。 坂田は無学文盲・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ 寮生はすべて丸刈りたるべしという規則は、私にとっては奇怪な規則であった。私は何故こんな規則が出来たのだろうかと、暫く思案したが、よく判らなかった。そこで私は、もしかしたらこれは、長髪の生徒の中には社会主義の思想を抱いている者が多いから・・・ 織田作之助 「髪」
出典:青空文庫