・・・「他のことなら何とでもなるんだが、一家の浮沈に関することなんだから、どうも平田が帰郷ないわけに行かないんでね、私も実に困っているんだ」「家君さんがなぜ御損なんかなすッたんでしょうねえ」と、吉里はやはり涙を拭いている。「なぜッて。・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ またその桔梗いろの冷たい天盤には金剛石の劈開片や青宝玉の尖った粒やあるいはまるでけむりの草のたねほどの黄水晶のかけらまでごく精巧のピンセットできちんとひろわれきれいにちりばめられそれはめいめい勝手に呼吸し勝手にぷりぷりふるえました。・・・ 宮沢賢治 「インドラの網」
・・・ * あとでカン蛙は腕を組んで考えました。桔梗色の夕暗の中です。 しばらくしばらくたってからやっと「ギッギッ」と二声ばかり鳴きました。そして草原をぺたぺた歩いて畑にやって参りました、 それから声をうんと・・・ 宮沢賢治 「蛙のゴム靴」
・・・と云った途端、がらんとした桔梗いろの空から、さっき見たような鷺が、まるで雪の降るように、ぎゃあぎゃあ叫びながら、いっぱいに舞いおりて来ました。するとあの鳥捕りは、すっかり注文通りだというようにほくほくして、両足をかっきり六十度に開いて立って・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
盛岡の産物のなかに、紫紺染というものがあります。 これは、紫紺という桔梗によく似た草の根を、灰で煮出して染めるのです。 南部の紫紺染は、昔は大へん名高いものだったそうですが、明治になってからは、西洋からやすいアニリ・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
・・・空もいつかすっかり霽れて、桔梗いろの天球には、いちめんの星座がまたたきました。 雪童子らは、めいめい自分の狼をつれて、はじめてお互挨拶しました。「ずいぶんひどかったね。」「ああ、」「こんどはいつ会うだろう。」「いつだろう・・・ 宮沢賢治 「水仙月の四日」
・・・水がその広い河原の、向う岸近くをごうと流れ、空の桔梗のうすあかりには、山どもがのっきのっきと黒く立つ。大学士は寝たままそれを眺め、又ひとりごとを言い出した。「ははあ、あいつらは岩頸だな。岩頸だ、岩頸だ。相違ない。・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・ お月さまは今はすうっと桔梗いろの空におのぼりになりました。それは不思議な黄金の船のように見えました。 俄かにみんなは息がつまるように思いました。それはそのお月さまの船の尖った右のへさきから、まるで花火のように美しい紫いろのけむりの・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・ ※ 夜があけかゝり、その桔梗色の薄明の中で、黄色なダァリヤは、赤い花を一寸見ましたが、急に何か恐さうに顔を見合せてしまって、一ことも物を云ひませんでした。赤いダァリヤが叫びました。「ほんたうにいらいら・・・ 宮沢賢治 「まなづるとダァリヤ」
・・・ 飛ぶ様に変って行く景色、駅々で乗込んで来る皆それぞれの地方色を持った人達に心がひかれて私は自分が今妹の病気のために帰京するんだなどとは云えないほど澄んだ面白い様な気持になって居た。 氏家駅に来るまで私は本を見景色をながめして自分で・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
出典:青空文庫