・・・三十日の間私生子と起居を共にせる美人は只「清き巡礼の子」という名にその本名を知る事が出来ぬのは遺憾である。……盾の話しはこの時代の事と思え。 この盾は何時の世のものとも知れぬ。パヴィースと云うて三角を倒まにして全身を蔽う位な大きさに作ら・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・在昔大名の奥に奉公する婦人などが、手紙も見事に書き弁舌も爽にして、然かも其起居挙動の野鄙ならざりしは人の知る所なり。参考の価ある可し。左れば今の女子を教うるに純然たる昔の御殿風を以てす可らざるは言うまでもなきことなれども、幼少の時より国字の・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・一、私塾中は起居自由にして一物の身を束縛するなく、官途の心雲を脱却して随意に書を読み、一刻も読書に費さざるの時なく、一語も文学にわたらざるの談なし。身心流暢して苦学もまた楽しく、したがって教えしたがって学び、学業の上達すること、世人の望・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・ この際にあたりて、ひとり我が義塾同社の士、固く旧物を守りて志業を変ぜず、その好むところの書を読み、その尊ぶところの道を修め、日夜ここに講究し、起居常時に異なることなし。もって悠然、世と相おりて、遠近内外の新聞の如きもこれを聞くを好まず・・・ 福沢諭吉 「中元祝酒の記」
・・・晩年起居を不自由にする原因となった暴飲がこの間に始ったそうである。もともと政恒は薄茶がすきで、もんぺいの膝を折っては一日に何度か妻に薄茶をたてさせた。すると、或るとき曾祖母が、一服終った政恒に向って、お前は本当に開墾事業をなしとげる覚悟か、・・・ 宮本百合子 「明治のランプ」
・・・壮年に及びて弥五右衛門景一と名告り、母の族なる播磨国の人佐野官十郎方に寄居いたしおり候。さてその縁故をもって赤松左兵衛督殿に仕え、天正九年千石を給わり候。十三年四月赤松殿阿波国を併せ領せられ候に及びて、景一は三百石を加増せられ、阿波郡代とな・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・苛々したような起居振舞をする。それにいつものような発揚の状態になって、饒舌をすることは絶えて無い。寧沈黙勝だと云っても好い。只興奮しているために、瑣細な事にも腹を立てる。又何事もないと、わざわざ人を挑んで詞尻を取って、怒の動機を作る。さて怒・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫