・・・ が、この円転滑脱は天禀でもあったが、長い歳月に段々と練上げたので、ことさらに他人の機嫌を取るためではなかった。その上に余り如才がなさ過ぎて、とかく一人で取持って切廻し過ぎるのでかえって人をテレさせて、「椿岳さんが来ると座が白ける」と度・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・トーヴァルセンを出して世界の彫刻術に一新紀元を劃し、アンデルセンを出して近世お伽話の元祖たらしめ、キェルケゴールを出して無教会主義のキリスト教を世界に唱えしめしデンマークは、実に柔和なる牝牛の産をもって立つ小にして静かなる国であります。・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
冬の晴れた日のことであります。太陽は、いつになく機嫌のいい顔を見せました。下界のどんなものでも、太陽のこの機嫌のいい顔を見たものは、みんな、気持ちがはればれとして喜ばないものはなかったのであります。 太陽は、だれに対しても差別なく・・・ 小川未明 「煙突と柳」
・・・いつもの通り晩に一口飲んで、いい機嫌になって鼻唄か何かで湯へ出かけると、じき湯屋の上さんが飛んで来て、お前さんとこの阿父さんがこれこれだと言うから、びっくらして行って見ると、阿父さんは湯槽に捉まったままもう冷たくなってたのさ。やっぱり卒中で・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・「それを言いだすと、あの人はすぐ泣きだしてしもて、私の機嫌とるのんですわ。私がヒステリー起こした時は、ご飯かて、たいてくれます。洗濯かて、せえ言うたら、してくれます。ほんまによう機嫌とります。けど、あんまり機嫌とられると、いやですねん。・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・利子の期限云々とむろん慾にかかって執拗にすすめられたが、お君は、ただ気の毒そうに、「私にはどうでもええことでっさかい。それになんでんねん……」 電車会社の慰謝金はなぜか百円そこそこの零砕な金一封で、その大半は暇をとることになった見習・・・ 織田作之助 「雨」
・・・と名付けたのがその起原であるときいてみると、何かしらなつかしいものを感ずるのである。 戎橋そごう横の「しる市」もまた大阪の故郷だ。「しる市」は白味噌のねっとりした汁を食べさす小さな店であるが、汁のほかに飯も酒も出さず、ただ汁一点張りに商・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・原口の出て行った後で、笹川は不機嫌を曝けだした、罵るような調子で私に向ってきた。 私は恐縮してしまった。「いやけっしてその、そんな風に考えているというわけでもないのだがね……。それでやはり、原口君もいくらか借りてるというわけかね?」・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・銀行へ着いた時分には自分もかなり不機嫌になってしまっていた。赤く焼けている瓦斯煖炉の上へ濡れて重くなった下駄をやりながら自分は係りが名前を呼ぶのを待っていた。自分の前に店の小僧さんが一人差向かいの位置にいた。下駄をひいてからしばらくして自分・・・ 梶井基次郎 「泥濘」
・・・く姉のお絹を外に出して自分の子、妹のお松を後に据えたき願い、それがあるばかりにお絹と継母との間おもしろからず理屈をつけて叔父幸衛門にお絹はあずけられかれこれ三年の間お絹のわが家に帰りしは正月一度それも機嫌よくは待遇われざりしを、何のかのと腹・・・ 国木田独歩 「置土産」
出典:青空文庫