・・・遠く満州の果てから帰国した親戚のものの置いて行ったみやげの残りだ。ロシアあたりの子供でもよろこびそうなボンボンだ。茶の間には末子が婆やを相手に、針仕事をひろげていた。私はその一つ一つ紙にひねってあるボンボンを娘に分け、婆やに分け、次郎のいる・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・打ち勝って光栄の真中にあったのに、本国に書を送って、全体で僅か七アルペントばかりにしかならぬ自分の地処の管理を頼んでおいた小作人が、農具を奪って遁走したことを訴え、且つ、妻子が困っているといけないから帰国してその始末を致したいと、暇を乞うた・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・ぼくが帰国したとき、前年義姉を失った兄は、家に帰り、コンムニュスト、党資金局の一員でした。あにを熱愛していたぼくは、マルキシズムの理論的影響失せなかったぼくは、直に共鳴して、鎌倉の別荘を売ったぼくの学費を盗みだして兄に渡し、自分も学内にR・・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ この言葉が、あるじの胸を打った。帰国するのだ。きっとそうだ、と美しく禿げた頭を二三度かるく振った。自分のふるさとを思いつつ釜から雲呑の実を掬っていた。「コレ、チガイマス」 あるじから受け取った雲呑の黄色い鉢を覗いて、女の子が当・・・ 太宰治 「葉」
・・・とって読んでみても鳶の羽も刷いぬはつしぐれ 一ふき風の木の葉しずまる股引の朝からぬるる川こえて たぬきをおどす篠張の弓のような各場面から始まってうき人を枳殻籬よりくぐらせん 今や別れの刀さ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・ 葉松石は同じころ、最初の外国語学校教授に招聘せられた人で、一度帰国した後、再び来遊して、大阪で病死した。遺稿『煮薬漫抄』の初めに詩人小野湖山のつくった略伝が載っている。 毎年庭の梅の散りかける頃になると、客間の床には、きまって何如・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・本年春の頃或る米国の貴婦人が我国に来遊して日本の習俗を見聞する中に、妻妾同居云々の談を聞て初の程は大に疑いしが、遂に事実の実を知り得て乃ち云く、自分は既に証明を得たれども、扨帰国の上これを婦人社会の朋友に語るも容易に信ずる者なく、却て自分を・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・これでは試験も受けられぬというので試験の済まぬ内に余は帰国する事に定めた。菅笠や草鞋を買うて用意を整えて上野の汽車に乗り込んだ。軽井沢に一泊して善光寺に参詣してそれから伏見山まで来て一泊した。これは松本街道なのである。翌日猿が馬場という峠に・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・江南の橘も江北に植えると枳殻となるという話は古くよりあるが、これは無論の事で、同じ蜜柑の類でも、日本の蜜柑は酸味が多いが、支那の南方の蜜柑は甘味が多いというほどの差がある。気候に関する菓物の特色をひっくるめていうと、熱帯に近い方の菓物は、非・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・な善である、私が牛を食う、摂理で善である、私が怒ってマットン博士をなぐる、摂理で善である、なぜならこれは現象で摂理の中のでき事で神のみ旨は測るべからざる哉と、斯うなる、私が諸君にピストルを向けて諸君の帰国の旅費をみんな巻きあげる、大へんよろ・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
出典:青空文庫