・・・ 二条ばかりも重って、美しい婦の虐げられた――旧藩の頃にはどこでもあり来りだが――伝説があるからで。 通道というでもなし、花はこの近処に名所さえあるから、わざとこんな裏小路を捜るものはない。日中もほとんど人通りはない。妙齢の娘でも見・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・ と半分目を眠って、盲目がするように、白眼で首を据えて、天井を恐ろしげに視めながら、「ものはあるげにござりまして……旧藩頃の先主人が、夜学の端に承わります。昔その唐の都の大道を、一時、その何でござりまして、怪しげな道人が、髪を捌いて・・・ 泉鏡花 「朱日記」
・・・ すべて旧藩侯の庭園だ、と言うにつけても、贈主なる貴公子の面影さえ浮ぶ、伯爵の鸚鵡を何としょう。 霊廟の土の瘧を落し、秘符の威徳の鬼を追うよう、たちどころに坊主の虫歯を癒したはさることながら、路々も悪臭さの消えないばかりか、口中の臭・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・周章てて急坂を駈下りて転がるように停車場に飛込みざま切符を買った処へ、終列車が地響き打って突進して来た。ブリッジを渡る暇もないのでレールを踏越えて、漸とこさと乗込んでから顔を出すと、跡から追駈けて来た二葉亭は柵の外に立って、例の錆のある太い・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・残っている者は旧藩の士族で、いくらかの恩給をもらっている廃吏ばかりになった。 なぜかなら、その村は、殿様が追い詰められた時に、逃げ込んで無理にこしらえた山中の一村であったから、なんにも産業というものがなかった。 で、中学の存在によっ・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・ ひどい急坂を上る機関車のような、重苦しい骨の折れる時間が経った。 毎朝、五時か五時半には必ず寄る事になっている依田は、六時になるに未だ来なかった。 ――依田君。六時まで、三時から君を待ったが、来ないから、僕はM署へ持って行かれ・・・ 葉山嘉樹 「生爪を剥ぐ」
旧藩情緒言一、人の世を渡るはなお舟に乗て海を渡るがごとし。舟中の人もとより舟と共に運動を與にすといえども、動もすれば自から運動の遅速方向に心付かざること多し。ただ岸上より望観する者にして始てその精密なる趣を知る・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・昔年、馬に乗れば切捨てられたる百姓町人の少年輩が、今日借馬に乗て飛廻わり、誤って旧藩地の士族を踏殺すも、法律においてはただ罰金の沙汰あらんのみ。 また、封建世禄の世において、家の次男三男に生れたる者は、別に立身の道を得ず。あるいは他の不・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・中国の作家が封建的な重荷とたたかい時を同じくして歪んだる新しいものともたたかわなければならない苦難と堅忍とは、すべておくれて急に育った国の文化が生きぬかなければならぬ急坂な路なのである。 第三回の文化擁護の国際作家会議はアメリカで開かれ・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・翌年七十一で旧藩の桜田邸に移り、七十三のときまた土手三番町に移った。 仲平の亡くなったのは、七十八の年の九月二十三日である。謙助と淑子との間に出来た、十歳の孫千菊が家を継いだ。千菊の夭折したあとは小太郎の二男三郎が立てた。大正三年四・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫