・・・そのまわりには必ず二、三人の子供が騒ぎもしないできょとんと火を見つめながら車座にうずくまっていた。そういう小屋が、草を積み重ねたように離れ離れにわびしく立っていた。 農場の事務所に達するには、およそ一丁ほどの嶮しい赤土の坂を登らなければ・・・ 有島武郎 「親子」
・・・暗闇の中でも、笠井が眼をきょとんとさせて火傷の方の半面を平手で撫でまわしているのが想像された。そしてやがて腰を下して、今までの慌てかたにも似ず悠々と煙草入を出してマッチを擦った。折入って頼むといったのは小作一同の地主に対する苦情に就いてであ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・フランシスはついた狐が落ちたようにきょとんとして、石畳から眼をはなして、自分を囲むいくつかの酒にほてった若い笑顔を苦々しげに見廻わした。クララは即興詩でも聞くように興味を催おして、窓から上体を乗出しながらそれに眺め入った。フランシスはやがて・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ 坊様、眉も綿頭巾も、一緒くたに天を仰いで、長い顔で、きょとんとした。「や、いささかお灸でしたね、きゃッ、きゃッ、」 と笑うて、技師はこれを機会に、殷鑑遠からず、と少しく窘んで、浮足の靴ポカポカ、ばらばらと乱れた露店の暗い方を。・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ 境はきょとんとして、「何だい、あれは……」 やがて膳を持って顕われたのが……お米でない、年増のに替わっていた。「やあ、中二階のおかみさん。」 行商人と、炬燵で睦まじかったのはこれである。「御亭主はどうしたい。」・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ 私はきょとんとして坐っていた。 女はいきなり私の前へぺったりと坐った。膝を突かれたように思った。この女は近視だろうか、それとも、距離の感覚がまるでないのだろうかと、なんとなく迷惑していると、「いま、ちょっと出掛けて行きましたの・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・動き出した電車の窓から見ると女は新吉が腰を掛けていた場所に坐って、きょとんとした眼を前方へ向けていた。夜が次第に更けて来るというのに、会える当てもなさそうな夫をそうやっていつまでも待っている積りだろうか。諦めて帰る気にもなれないのは、よほど・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・ ところが、半時間ばかりたつと、武田さんははっと眼を覚して、きょとんとしていたが、やがて何思ったのか、白紙のままの原稿用紙を二十枚ばかり封筒に入れると、「さア、行こう」 と、起ち上って出て行った。随いて行くと、校正室へはいるなり・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・自分はきょとんとした。 どこかで見ていた人はなかったかと、また自分は見廻して見た。垂れ下った曇空の下に大きな邸の屋根が並んでいた。しかし廓寥として人影はなかった。あっけない気がした。嘲笑っていてもいい、誰かが自分の今為たことを見ていてく・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・ ご亭主は、きょとんとした顔になって、「へえ? しかし、奥さん、お金ってものは、自分の手に、握ってみないうちは、あてにならないものですよ」 と案外、しずかな、教えさとすような口調で言いました。「いいえ、それがね、本当にたしか・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
出典:青空文庫