・・・然し松方山本二氏の姓名の永くわが文化史上に記録せられべきものたることは言うを俟たない。 大正八年の秋始て帝国劇場に於てオペラを演奏した芸人の一座は其本国を亡命した露西亜人によって組織せられていた。露西亜は欧米の都会に在ってさえ人々の常に・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
・・・西鶴は市井の風聞を記録するに過ぎない。然るに近松は空想の力を仮りて人物を活躍させている。一は記事に過ぎないが一は渾然たる創作である。ここに附記していう。岡鬼太郎君は近松の真価は世話物ではなくして時代物であると言われたが、わたくしは岡君の言う・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・ハントの家はカーライルの直近傍で、現にカーライルがこの家に引き移った晩尋ねて来たという事がカーライルの記録に書いてある。またハントがカーライルの細君にシェレーの塑像を贈ったという事も知れている。このほかにエリオットのおった家とロセッチの住ん・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・ 彼の御広間の敷居の内外を争い、御目付部屋の御記録に思を焦し、ふつぜんとして怒り莞爾として笑いしその有様を回想すれば、正にこれ火打箱の隅に屈伸して一場の夢を見たるのみ。しかのみならず今日に至ては、その御広間もすでに湯屋の薪となり、御記録・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・あんな旱魃の二年続いた記録が無いと測候所が云ったのにこれで三年続くわけでないか。大堰の水もまるで四寸ぐらいしかない。夕方になってやっといままでの分へ一わたり水がかかった。 三時ごろ水がさっぱり来なくなったからどうしたのかと思って大堰の下・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・ 工芸学校の先生は、まず昔の古い記録に眼をつけたのでした。そして図書館の二階で、毎日黄いろに古びた写本をしらべているうちに、遂にこういういいことを見附けました。「一、山男紫紺を売りて酒を買い候事、山男、西根山にて紫紺の根を掘り取・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
・・・ 徳永直氏が十一月号『新潮』に「ルポルタアジュと記録文学」という評論を書いている。氏が、尾崎、榊山氏のルポルタージュに自己感傷の過度を批難しながら、林房雄氏のレトリックに触れないことは読者にとっては不思議のようである。「太陽のない街」を・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・今日二・二六の事件を戦争を欲しなかった青年将校の行動であるとか、農民大衆の窮乏にふるいたった青年将校たちの行動であるとかいう二・二六記録が発表されている事実と鋭くにらみ合わされる必要があります。 人民的な文化建設をいうとき、これまではい・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・は信玄一代記と山本勘助伝とのからみ合わせで、勘助の子の禅僧が書き残した記録を材料としたであろうと思われる。は石清水物語と呼ばれている部分で、信玄や老臣たちの語録である。これは古老の言い伝えによったものらしいが、非常におもしろい。は軍法の巻で・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・その一年あまりの間、都会育ちの先生が、立ち居も不自由なほどの神経痛になやみながら、生まれて初めての山村の生活の日々を、「ちょうど目がさめると起きるような気持ちで」送られた。その記録がここにある。それはいわば最近二十年の間の日本の動乱期がその・・・ 和辻哲郎 「歌集『涌井』を読む」
出典:青空文庫