・・・いまはすっかり青ぞらに変ったその天頂から四方の青白い天末までいちめんはられたインドラのスペクトル製の網、その繊維は蜘蛛のより細く、その組織は菌糸より緻密に、透明清澄で黄金でまた青く幾億互に交錯し光って顫えて燃えました。「ごらん、そら、風・・・ 宮沢賢治 「インドラの網」
・・・事によると禁止をしなければなるまい。」 そこでネネムは、部下の検事を随えて、今日もまちへ出ました。そして検事の案内で、まっすぐに奇術大一座のある処に参りました。奇術は今や丁度まっ最中です。 ネネムは、検事と一緒に中へはいりました。楽・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・の口実で公演禁止されたのをはじめとして、ナチス外交官が出さきの外国でまでエリカの活動を妨害して、とうとう、それを解散させてしまったのであった。この時分に、エリカ・マンはイギリスの詩人ウイスタン・オーデンと結婚した。スペイン人民戦線軍に従軍し・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・それまでは闊達であった婦人の政治的活躍も様々の法令や規則で禁止されるようになったし、所謂筆禍によって投獄される新聞人はこの前後に目立って多数になって行った。日本の開化期の文化に関係ある統計のあるものは極めて意味深く近代日本というものの本質を・・・ 宮本百合子 「明日への新聞」
・・・ 女の子だからと云って、女のくせに、と禁止ばかり多い育てかたをする時代でないことは、もう申すまでもないことです。 人間を育てる根本の精神では、男の子も女の子も、同じであってよいと思います。 女の子は、愛嬌がないときらわれる、・・・ 宮本百合子 「新しい躾」
・・・ そして、これらの変化にはやはり贅沢禁止のいろいろな運動が役にたっているにちがいないのだろう。街のプラタナスの今年の落葉は、「簡素のなかの美しさ」という立看板に散りかかっている。パン屋や菓子屋の店さきのガラス箱にパンや菓子がないように、・・・ 宮本百合子 「新しい美をつくる心」
・・・ 一九三八年一月から中野重治と私と他に数人の評論家が、思想傾向の上から内務省として執筆させることを望まない、という表現で、事実上の執筆禁止をうけた。その前後から雑誌や単行本に対する取締りがひどくなって、少しでも日本の軍事行動に対して疑問・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第五巻)」
・・・も前半期以後は全く途絶えてしまっているのは、一九四一年の一月から太平洋戦争を準備していた権力によってはげしい言論抑圧が進行し、宮本百合子の書いたものは、批判的であり、非協力的であるとして発表することが禁止されたからであった。一九四一年一月か・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
ここには、一九三二年の一月の創刊で、日本プロレタリア文化連盟から出版されていた『働く婦人』に書いた短いものからはじまって、一九四一年の一月執筆禁止をうけるまで婦人のために書いた感想、評論、伝記、書評など四十篇が集められてい・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十五巻)」
・・・ 雨が降る――風が吹く 土のお宮は淋しかろ 寒かろう 送ってあげたや紅の地に 金糸の花を縫い取って 真綿を厚く夜の衣 それにそえては虹のよな 糸でかがった小手毬を―― 日はひねもす・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
出典:青空文庫