・・・ けっきょく三吉は、新婚の二人に夕めしもくわせず、夜ふけまで縁さきにこしかけていた。 二 家のひさし下に、ひよけのむしろをたらして、三吉は竹のひしゃくをつくっている。縄でしばった南京袋の前だれをあてて、直径五寸も・・・ 徳永直 「白い道」
白魚、都鳥、火事、喧嘩、さては富士筑波の眺めとともに夕立もまた東都名物の一つなり。 浮世絵に夕立を描けるもの甚多し。いずれも市井の特色を描出して興趣津々たるが中に鍬形くわがたけいさいが祭礼の図に、若衆大勢夕立にあいて花・・・ 永井荷風 「夕立」
・・・のみなれば、学者もまたこれに近づくを屑とせず、さりとて俗を破りて独立の事業をくわだつるの気力もなく、まずその身に慣れたる学校世界に引籠りて人を教うる業につく、すなわち学校の教育により学校の教員を生ずること多きゆえんにして、したがって教えられ・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・地獄では我々が古参だから頭下げて来るなら地獄の案内教えてやらないものでもないが、生意気に広い墓地を占領して、死んで後までも華族風を吹かすのは気にくわないヨ。元来墓地には制限を置かねばならぬというのが我輩の持論だが、今日のように人口が繁殖して・・・ 正岡子規 「墓」
・・・勿論看病のしかたは自分の気にくわぬので、口論もしたり喧嘩もしたり、それがために自分は病床に煩悶して生きても死んでも居られんというような場合が少くはないが、それは看病の巧拙のことで、いずれにした所で家族の者の苦しさは察するに余りがあるのである・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・それからゆっくり、腰からたばこ入れをとって、きせるをくわいて、ぱくぱく煙をふきだした。奇体だと思っていたら、また腹かけから、何か出した。「発破だぞ、発破だぞ。」とぺ吉やみんな叫んだ。しゅっこは、手をふってそれをとめた。庄助は、きせるの火を、・・・ 宮沢賢治 「さいかち淵」
・・・気魄ということは芸術の擬態、くわせものにまでつかわれるものであるが、これらの場合の進退には、そういう古典的意味での伝統さえ活かされていないのはどういうのであろう。 六月某日。 オペラの「蝶々夫人」を今日の日本人が見て、非現実的に感じ・・・ 宮本百合子 「雨の小やみ」
・・・その表情を見るような見ないような視線のはじにうつしとって、瞬間の皮肉を感じながらゆきすぎる男女の生活は、日々の勤勉にかかわらず三千七百円ベースの底がひとたまりもなくわられつつある物価の高さによろめき、喘いでいるのだ。 こういう様相が文化・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
・・・ 畑の斜に下って居る桑の木の下に座って仙二は向うに働いて居る作男のくわの先が時々キラッキラッと黒土の間に光るのや、馬子が街道を行く道かならずよる茶屋めいた処の子達が池に来て水をあびて居るのなんかを見て居た。 仙二のすきな歌も口には出・・・ 宮本百合子 「グースベリーの熟れる頃」
・・・ その手はくわないよ。俺あ党員じゃねえんだからね。正直に、手前の背骨を痛くして耕してた百姓から牛までとっちまって、日傭いになり下がらせる社会主義ってのは分らねえんだ」 集団農場組織に対しては都会の労働者の間にさえそういう無理解が一部のこ・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
出典:青空文庫