・・・ ああ、一翳の雲もないのに、緑紫紅の旗の影が、ぱっと空を蔽うまで、花やかに目に飜った、と見ると颯と近づいて、眉に近い樹々の枝に色鳥の種々の影に映った。 蓋し劇場に向って、高く翳した手の指環の、玉の矜の幻影である。 紫玉は、瞳を返・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・これ蓋し狂者の挙動なればとて、公判廷より許されし、良人を殺せし貞婦にして、旅店の主翁はその伯父なり。 されど室内に立入りて、その面を見んとせらるるとも、主翁は頑として肯ぜざるべし。諸君涙あらば強うるなかれ。いかんとなれば、狂せるお貞は爾・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・ 文字は蓋し左のごときものにてありし。お通に申残し参らせ候、御身と近藤重隆殿とは許婚に有之候然るに御身は殊の外彼の人を忌嫌い候様子、拙者の眼に相見え候えば、女ながらも其由のいい聞け難くて、臨終の際まで黙し候さ候えども、一・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・三町は蓋し遠い道ではないが、身体も精神も共に太く疲れて居たからで。 しかしそのまま素直に立ってるのが、余り辛かったから又た歩いた。 路の両側しばらくのあいだ、人家が断えては続いたが、いずれも寝静まって、白けた藁屋の中に、何家も何家も・・・ 泉鏡花 「星あかり」
一 加賀の国黒壁は、金沢市の郊外一里程の処にあり、魔境を以て国中に鳴る。蓋し野田山の奥、深林幽暗の地たるに因れり。 ここに摩利支天を安置し、これに冊く山伏の住える寺院を中心とせる、一落の山廓あり。戸・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・緋の蹴出しに裾端折って二人が庭に降りた時には、きらつく天気に映って俄かにそこら明るくなった。 久しぶりでおとよも曇りのない笑いを見せながら、なお何となし控え目に内輪なるは、いささか気が咎むるゆえであろう。 籠を出た鳥の二人は道々何を・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・故に、習慣に累せられず、知識に妨げられずに、純鮮なる少年時代の眼に映じた自然より得来た自己の感覚を芸術の上に再現せんとして、努力するのは、蓋し、茲に甚大の意義を有することを知からである。・・・ 小川未明 「感覚の回生」
・・・という諺があります。蓋し、至言となします。いかに、尊敬する人の著書にしろ、時代に推移があり諸科学上に進歩があるからです。書中の認識や、引例等にも、多少の改変を要するものあるは勿論であります。こうした批評眼を有しないものならば、また、読書子の・・・ 小川未明 「書を愛して書を持たず」
・・・世間に妥協するも究極は功利に終始するも、蓋し表現の上では、どんなことも書けると言うのである。 ある者は、世間を詐わり、また自己をも詐わるのだ。真剣であるならば、その態度に対して、第三者は、いさゝかの疑念をも挾むことができないだろう。即ち・・・ 小川未明 「正に芸術の試煉期」
・・・この人生に最も貴い愛、母親に抱かれながら、火の中にも、水の中にも、ほゝえんで入る子供の母親を信ずるにも等しい、人類に根ざす共存の愛の精神は全くブルジョア階級に死んで、独り無産階級にのみ生きている。蓋し、この愛の高潮でなければならないと信じま・・・ 小川未明 「民衆芸術の精神」
出典:青空文庫